★同期会有志鳴子温泉旅行 秋田班★
 
 *秋田の同期と東京の同期が合同で、過去に何回か旅行を行っている。今回も秋田と東京の中間と言うことで、鳴子温泉旅行が企画された。
 
●秋田・東京などから参加した人のお名前
 
 1.阿 彦 勝 征
 2.石 黒   守
 3.稲 葉 紀美子(旧姓 石井)
 4.宇都宮 協 子(旧姓 大塚)
 5.河 野 芳 徳
 6.木 村 美 子(旧姓 加藤)
 7.越 淵 須磨子
 8.佐々木   寛
 9.佐々木 弘 子(旧姓 下間)
10.佐々木 ミナ子(旧姓 工藤)
11.佐 藤 敬 子(旧姓 小田島)
12.佐 藤 定 子(旧姓 佐々木)
13.佐 藤 チ ヨ(旧姓 北川)
14.白 山 比佐男
15.鈴 木 里 子(旧姓 渡辺)
16.須 田 留美子(旧姓 森川)
17.住 吉 一 子(旧姓 阿部)
18.仙 波 フミ子
19.仙北谷 捷 治
20.高 橋 弘 美
21.高 橋   清
22.地 脇 顕 子(旧姓 谷内)
23.築 地 公 子(旧姓 菊地)
24.冨 野 修 悦
25.中 村 幹 子(旧姓 茂木)
26.萩 原 勝 子(旧姓 石井)
27.平 山 武 志
28.堀 角 咲 耶(旧姓 高橋)
29.村 上 京 子(旧姓 鈴木)
30.矢 木 克 美(旧姓 高島)
31.山 本 陽 子
32.横 山 祐太郎
 
 *今回の鳴子温泉旅行では、本人の写っている写真だけを発送するのではなくて、すべての写真を見て貰うために、CD−Rで配布したのである。そのCD−Rの写真の一部をここで公開します。
 
★写真をクリックすると、拡大表示されます。
●2007/06/16(土)
 
・新屋→中尊寺・毛越寺→鳴子峡→鳴子観光ホテル
 
観光バス車内(秋田中央トランスポート)
 ▼中尊寺・毛越寺
 
 寺伝によれば、中尊寺は嘉祥3年(850年)に慈覚大師が開基した天台宗の寺院で、建立時は関山弘台寿院と号したが、貞観元年(859年)に中尊寺と改めたという。江刺郡の豊田館から平泉に移った奥州藤原氏・初代清衡は、この基盤の上に長治2年(1105年)、前九年・後三年の戦いで亡くなった人々の霊をなぐさめ、仏国土を建設するため中尊寺一山の造営に着手した。
 
 毛越寺は中尊寺と同様慈覚大師を開祖とし、正式には医王山毛越寺という。藤原二代基衡により建立された寺院で、「吾妻鏡」には、初代清衡が建てた中尊寺の「寺塔四十余宇。禅坊三百余宇也」に対して「四十余宇、禅坊五百余宇」と書かれているが、昭和29年から5年間にわたる発掘調査の結果においても、やはり中尊寺をはるかに凌ぐ大寺院だったことが明らかになった。
 
 
 ▼鳴子峡
 
 JR鳴子温泉駅から車で5分、国道47号線に平行して走るV字型峡谷。大谷川の侵蝕でできた峡谷で、高さ約100mの断崖絶壁が2.5kmにわたって続き、奇岩と松の緑が点在するなかでの紅葉は一級品。紅葉期間中はJR鳴子温泉駅から中山平温泉駅間を路線バスが走る。
 
 ▼鳴子温泉郷
 
 鳴子温泉郷は、宮城県の北西部に位置し、東北を代表する温泉街であるとともに、こけしの故郷として知られています。昭和29年4月に鳴子町に川渡村と鬼首村が合併して、県下最大の面積を誇る町となりました。しかし、耕地はきわめて少なく、その85%は山林原野によってしめられています。自然豊かな鳴子温泉郷には、古より伝えられた5つの温泉街があります。なかでも温泉の種類は日本にある11種の温泉のうち9種類が有り、豊富さは他に類をみないほどです。温泉の開湯は今から、1,200年前に遡るとされ、町立鳴子温泉病院もあり、温泉医療面での開発も盛んです。
 
 
●2007/06/17(日)
 
・鳴子観光ホテル→最上川船下り→酒田相馬楼→秋田
 
 ▼鳴子観光ホテル
 
 元和年間( 1620 年)、大沼源蔵の祖先弥治右ェ門が鳥谷ヶ森(現潟沼)の麓に湧き出ずる源泉を発見し、その後「源蔵湯旅館」「鳴子観光ホテル」として 400 有余年伝承し、旅する人々にこよなく愛されてきた名湯です。
 
 ▼最上川船下り
 
・最上峡芭蕉ライン観光株式会社(古口本社→草薙温泉)
 最上川の流れに身をまかせ、船上からの景色を楽しむ”最上峡芭蕉ライン舟下り”。雄大な自然の中を船頭の舟唄を聞きながらゆっくりと下る舟下りは、四季を通じていつでも楽しめます。
 
 ▼酒田相馬楼
 
 江戸時代から続いた酒田を代表する料亭「相馬屋」を改装して、平成11年に「相馬樓」としてオープンしました。現存する母屋は、明治27年の庄内大震災の大火で焼失した直後に再建されたもので、平成8年11月、国の登録文化財建造物に指定されました。2階の大広間では、酒田舞娘の踊りと食事が楽しめます。また、土蔵には雛人形や竹久夢二などの美術品が展示されています。
 
 *二日間にわたる長旅お疲れ様でした。そして、世話人の築地公子さん佐藤定子さん、お世話になりました。