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★日吉敬神旅行会 被災地支援!! 会津・喜多方紀行★
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 日吉敬神旅行会で、10/19(水)〜20(木)に、大型バスに14名が乗って、会津・喜多方に行ってきた。天候にだけは恵まれて、二日間とも快晴!! しかし、宮城・福島はやっぱり被災地で、東北自動車道は工事で大渋滞。2時間も遅れて喜多方に着いて、ラーメンを啜ったのが14時。会津・喜多方では観光客は我々だけのようでした。ので、どこでも大変な歓迎を受けました。予定の観光地はなんとか消化したが、渋滞を避けて米沢・山形経由で帰ってきたら、新屋に着いたのが20:30でした。目的は被災地の激励と、宿泊やお土産による経済支援でしたが、さて支援になったでしょうか?
 
 
●2011/10/19(水) *会津・喜多方紀行 1日目
 
 ・秋田・新屋→錦秋湖PA→仙台南IC→吾妻PA→会津若松IC→喜多方ラーメン(昼食)→新宮熊野神社(長床)→鶴ヶ城→東山グランドホテル(泊)
 
 
06:45  日吉神社の南側の駐車場から、大型バスに14名が乗って、秋田市新屋を出発。市内を抜けるのに少し時間がかかったが、秋田自動車道に乗ったら、協和付近でいい感じの紅葉になっていた。
 
 
   
▼日吉神社 ▼藤観光
   
08:30  秋田自動車道の錦秋湖PAでトイレ休憩。初の休憩で、皆さんコーヒーなどを飲んで、息抜きをしていた。
 
12:00  東北自動車道の岩手・宮城の県境付近で、事故車による4kmの渋滞。仙台南IC で合流する方がいて、降りたら待ち合わせ場所が分からない。管理事務所が、出口にはなくて、入り口にあった。ここも入り口から上り方向が渋滞で、管理事務所では2kmと言う。原因は、震災で壊れた防音壁の交換工事だった。二カ所の渋滞で、合計二時間も遅れてしまった。バスガイドは、同じ団体なので協調性があって我慢してくれるが、これが見ず知らずのツアーだと、雰囲気が険悪になると言う。
 
 この辺から、道路に亀裂があるのか、揺れが段々大きくなる。補修をしても、余震でまた壊れるからである。
 
13:00  吾妻PA→会津若松ICでトイレ休憩しながら、盤越自動車道に入る。このころから、予定の大幅変更を強いられた。先にラーメンを食べて、それから新宮熊野神社に向かうことにしたのである。車窓からは、瓦屋根が飛んだままの家が多数ある。何度直しても、余震でまた壊れるので、そのままらしい。だったら、住んでいられないのではないか?
 
14:00  2時間も遅れたので、先に神社に行く予定だったが、喜多方ラーメン(昼食)を啜ってから、神社に行くことにした。喜多方市は、会津若松市から北に折れて約10km。食べたのは、喜多方の郷土料理を堪能した「ふぶき亭セット」(◇醤油ラーメン ◇棒鱈煮 ◇にしんの山椒漬け ◇花豆 ◇こづゆ ◇御新香)だったようである。後に神社が控えているため、酒類は御法度である。
 
 ▼喜多方らーめん本舗『ふぶき亭』
http://www.kitakata-ramen.jp/topindex.shtml
 
 
   
▼喜多方らーめん本舗『ふぶき亭』  ☆ふぶき亭セット  ☆ お土産のラーメン・柚餅子・豆
   
〜〜〜〜〜 ウィキペディアより 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 喜多方ラーメン(きたかたラーメン)とは福島県喜多方市周辺で作られるご当地ラーメン(ご当地グルメ)である。
 
 喜多方市(合併前の旧喜多方市)は人口37,043人に対し、120軒ほどのラーメン店がある(対人口比では日本一)。札幌ラーメン、博多ラーメンと並んで日本三大ラーメンの一つに数えられることもある。
 
 喜多方では中高年層を中心に「そば」と言えばラーメンを指す事が多いが、この地域一帯はいわゆる「蕎麦」の産地でもあるため、ラーメンの事を指すときは「支那そば」と区別して呼ぶこともある。
 
 スープは豚骨のベースと煮干しのベースを別々に作り、それをブレンドしたもので、醤油味がベースだが、店によっては塩味や味噌仕立てなど千差万別である。麺は太めの平打ち縮れ麺を使っている。具はチャーシュー、ねぎ、メンマ、もやしと一般的な構成である。
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14:45  新宮熊野神社(長床)は、喜多方市の郊外にあった。保存会の方が案内してくれました。長床は、普通の拝殿とは全く違う、長大な規模と木太い柱の配列が特徴です。四方が吹き抜けのため、内部に林立する太い柱が見通され、いかにも古風でまさしく平安期の荘厳な建物です。地震や山崩れで倒壊や再建が繰り返され、1974年に復元したのです。直会もここで行われるという。
 
 ▼新宮熊野神社(長床)
 
 
     
 ▼大鳥居  ▼長床 長床内部 
  
▼案内板 
     
▼鐘楼  ▼本宮・新宮・那智の3社  ☆参拝を終えた宮司さん 
   
〜〜〜〜〜 ウィキペディアより 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 新宮熊野神社は、平安時代後期の天喜3年(1055年)前九年の役の際に源頼義が戦勝祈願のために熊野堂村(福島県会津若松市)に熊野神社を勧請したのが始まりであるといわれ、その後、寛治3年(1089年)後三年の役の時に頼義の子・義家が現在の地に熊野新宮社を遷座・造営したという。この時、同時に熊野本宮社を岩沢村(喜多方市上三宮町)、熊野那智社を宇津野村(喜多方市熱塩加納町宇津野)に遷座・造営したが、後年、この2社は新宮社に遷され、現在、神社には本宮・新宮・那智の3社が祀られている。
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 拝殿の直ぐ奥に、本宮・新宮・那智の3社がある。また、国や県の重要文化財を納めた宝物殿を見せてもらった。以前は『文珠堂』に納められていたが、安全上ここに移されたようです。木造文殊菩薩騎獅像の足下をくぐると、長生きすると案内され、みんなでくぐった。
 
 
   
 ▼宝物殿 ▼宝物殿寄贈柱 
   
 ▼木造文殊菩薩騎獅像
   
16:30  地元の人には若松城と呼ばれている「鶴ヶ城」に着いた。町の真ん中にあった。この時間になると観光客は少ない。売店を抜けて鶴ヶ城の袂に着いたら、白いお城に西日が当たっていた。タイムオーバーで入館は出来なかった。外から眺めるだけである。
 
 ▼鶴ヶ城
 
 
   
  ▼鶴ヶ城
   
〜〜〜〜〜 ウィキペディアより 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 *若松城(わかまつじょう)は、福島県会津若松市追手町1-1にあった城である。観光名所として、および地元では一般的に鶴ヶ城(つるがじょう)といい、地元以外では会津若松城と呼ばれることも多い。文献史上では黒川城(くろかわじょう)、会津城とされることもある。国の史跡としては、若松城跡(わかまつじょうあと)の名称で指定されている。
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17:00  会津若松の中心部に近いところに、東山グランドホテル(泊)があった。大きい宿で、入浴してから宴会となった。部屋に帰ってからも二次会を開いて、遅くまで歓談していた。
 
 ▼東山グランドホテル
http://www.ooedoonsen.jp/shukuhaku/higashiyama/index.html
 
 
 
☆外観  ☆和室 
   
☆露天風呂 
   
 
●2011/10/20(木) *会津・喜多方紀行 2日目
 
 ・ホテル→会津武家屋敷→日新館→野口英世記念館→地ビール館(昼食)→猪苗代磐梯高原IC→会津若松IC→道の駅喜多の郷(喜多方)→大峠バイパス→米沢→上山IC→東根IC→道の駅東根→新庄→雄勝IC→横手IC→大森PA→秋田南IC→秋田・新屋
 
 
06:30  起きて早速大浴場に向かったら、洗い場が空いていないくらい満員だった。団体のバスなど無かったのに、どうしてこんなに居るのか不思議である。
 
07:30  朝食会場に向かったらここも満員で、席が空くまで待たされた。結局、昨日個室で食べた人は指定の席があるとのことで、バイキングを取って一番奥の席へ。被災者と関連があるのか?
 
08:30  早めにホテルを出発。昨日廻れなかったからである。
 
08:35  ホテルの直ぐ隣の『会津武家屋敷』に着いた。昨日ホテルに向かうときに、近くに見えていた。我々のために早く開けてくれたようで、誰も居なかった。入場して直ぐ、白虎隊の半纏を着て写真をどうぞというのである。バスガイドから言われていたので、断って先に進んだ。
 
 ▼会津武家屋敷
http://www.bukeyashiki.com/
 
 
     
▼表門  ▼表玄関  ▼出口付近 
   
 *会津武家屋敷は会津藩家老西郷頼母邸を中心に重要文化財の旧中畑陣屋、茶室、 藩米精米所、会津歴史資料館などが軒を連ねる「歴史散策ゾーン」・会津、福島のいいものを集めた 「郷工房 古今」・会津の郷土料理を味わえる「御食事処 九曜亭」がある総合ミュージアムパークです。
 
 *別の班はここを早く済ませ、『松平家廟所』に向かった。石段がきつくて、漸くの思いで着いたようである。
 
10:10  会津若松市内から北に約10km。會津盆地を望む高台に日新館があった。ここに復元されたようである。
 
 ▼會津藩校 日新館
http://www.nisshinkan.jp/
 
 
     
▼ 什の掟  ▼永楽大康獅子 ▼南門  
     
▼戟門   ▼大成殿 ▼大成殿内部 
     
▼素読所  ▼天文台から磐梯山の眺め 
   
 *会津における教育のはじまりは、日新館創設より更にさかのぼること1600年代の中頃、町民たちが作った日本で最初の「稽古堂」だと言われています。これに対し、会津藩初代藩主 保科正之は税金を免除し、大いに奨励しました。
 
11:45  会津若松市内から東に約20km。猪苗代湖の湖畔に『野口英世記念館』があった。まずは、向かいの地ビール館にバスを停め、エレベーター付きの地下道をくぐり、野口英世記念館に向かった。2005年2月に、会議で来たことがある。その時は中津川温泉に泊まった。
 
 ▼野口英世記念館
http://www.noguchihideyo.or.jp/
 
 
     
 ▼野口英世の生家  ▼火傷をした囲炉裏 
   
 *猪苗代町出身の細菌学者である野口英世の記念館、生家をはじめ、野口の遺品や資料などを展示している。1939年(昭和14年)に開館。館内は主に野口の生家と展示室から成っており、展示室には野口の死後に遺族や関係者から提供された遺品・資料が展示されている。生家は野口の幼少期の姿を保っている。その生家では、野口が乳児期に火傷を負った囲炉裏も見学することができる。
 
 また、直下に野口英世の遺髪を納めた「誕生地の碑」と野口が遺した格言を刻んだ「忍耐の碑」の二つの碑の他、母シカが篤く信仰していた観音にちなんだ観音堂が保存されている。福島県の登録博物館の第一号として指定された経緯がある。
 
12:25  また地下道で「地ビール館」に戻り、昼食としたが、約一名が行方不明となり、全員揃うのに少々時間がかかった。地下道から出るときに方向が分からなくなったようだ。大きな窓から磐梯山を眺め、ビールを飲みながら料理を頂く。最高の気分である。
 
 ▼猪苗代地ビール館
   
 
   
▼猪苗代地ビール館と磐梯山  ☆磐梯山を眺めながら料理を頂く 
   
 ☆お土産のスモークチーズ  ☆お土産の猪苗代地ビール
   
 *世界のガラス館に隣接。 福島県内で初めての地ビールをメインにした新しい観光名所となった、猪苗代地ビール館は醸造のパーナーとして、世界最古の歴史をもつ、ドイツを選びました。本場ドイツ製の醸造機械、社員研修も現地で行い、杜氏にあたるブルーマイスターも招き醸造にあたっています。
 
 原料は、ホップを輸入するほかは地元の素材を使用し、特に磐梯山から流れてくる猪苗代の伏流水はビールに欠かせない天然水です。その味はレストランやテイクアウトで確かめられます。300席のビアレストランでは、磐梯山を眺めながら、自家製のソーセージやビールに合う焼肉などの料理も揃えています。
 
13:00  まだ時間があると、隣にある「世界のガラス館」に向かう。少々風があるが、最高の天気で磐梯山の頂上も見える。みんなで写真を撮った。
 
 ▼世界のガラス館
   
 
   
 ▼世界のガラス館 ☆磐梯山のアップ 
   
 *会津若松方向に向かって国道49号線沿い右側に見える大きな建物が、世界のガラス館です。(野口英世記念館の向かい)その名の通り、世界の名立たる製品を一同に集め、展示即売コーナーには1個200円のアクセサリーから、1億円を超すシャンデリアまでが販売され、豊富なスペースで来客の目を楽しませてくれます。
 
 当館のオリジナル商品を合わせると約2万5,000点にものぼるアイテムは、各国からの直輸入で、神秘的で美しい空間を演出しています。自家焙煎のコーヒーの喫茶コーナーもあり、スイス直輸入の生チョコレートも評判です。 様々な製作技法が見学できるガラス工房では、制作技法を体験することが可能です。
 
13:30  もう帰り道である。猪苗代磐梯高原ICから会津若松ICに向かう。一度会津若松の方に戻り、喜多方から山形県の米沢に向かうのである。
 
14:15  これから峠越えで、道の駅喜多の郷(喜多方)で休憩。ここには温泉もあるようである。
 
 ▼道の駅喜多の郷(喜多方)
http://www.furusatosinkou.co.jp/
 
 
   ▼道の駅喜多の郷
   
 *磐越自動車道会津若松ICから国道121号線を米沢方面へ約25kmの位置にあります。米沢市の道の駅田沢までは、約26kmです。地産地消をモットーに、会津地方の仲間と共に、安全安心で元気な"蔵のまち・ラーメンのまち"喜多方を元気にしてまいりましょう。
 
14:30  2010年9月に開通したばかりの「大峠バイパス」を越えて、山形県の米沢へ。近くの小野川温泉には、1990年9月に仕事できたことがある。米沢北ICから南陽高畠ICまでは、米沢南陽道路(8.8Km)が有ったが乗らなかった。しばらく国道13号線が続き、上山ICから東北中央自動車道で山形市を越え、東根ICで降りた。(27.1Km)去年の今頃来たところである。
 
17:00  「道の駅村山」で休憩。 
 
 ▼道の駅村山
http://www.thr.mlit.go.jp/road/koutsu/roadstation/yamagata/ya07.html
 
 
   
 *村山市は、山形県のほぼ真ん中にあって、江戸時代には羽州街道の宿場として栄え、明治以降は内陸地方北部の行政の中心地でした。市の中心部を最上川が流れ、北国と京を結んだ最上川舟運の要所でもあり、松尾芭蕉が「奥の細道」に記した最上川三難所は、すべて村山市内にあります。また、北方探検の先駆者としてシーボルトから高く評価された最上徳内、居合い抜刀道の創始者の林崎甚助も村山市の出身で、それぞれ記念館や居合神社が建っています。
 
 「村山市故里交流施設」として設置された「道の駅・むらやま」は、村山の文化、歴史等の地域情報をさまざまな形で発信していきます。道の駅としては初めての道路の両側に施設を設け、連絡通路で国道13号の上空を渡りながら、村山の四季折々の美しい大自然を満喫することができます。売店(地域特産品コーナー)では、地場特産品や山形県内の主なお土産を展示販売。レストランは、珍しい一皿バイキングのビュッフェスタイルとなっており、地元の素材を活かした料理が楽しめます。
 
17:30  新庄→雄勝IC→横手IC→大森PA→秋田南IC
 山形から秋田県境に掛けての13号線だが、道の駅は見当たらない。時間も遅くなり、大型バスが入れるコンビニで、夕食を買って済ました。
 
20:30  秋田市新屋に到着。やっぱり、山形経由は遠かった。高速道路は、所々しか整備されていなくて、殆ど一般道を走っていたような気がする。でも、渋滞の東北自動車道よりは、ましだったろう。
 
 
 *会津・喜多方地方の紅葉は、未だ早い感じでしたが、協和と大峠(福島・山形県境)が良かったです。バスガイド付きも良い物です。2時間の渋滞も何のその、退屈のしない旅行でした。
 
Ksymbol
 
 次は、●2011/06/12 秋田市新屋・日吉神社 鹿島祭2011