★日吉敬神旅行会 伊勢神宮参拝紀行2014★
 
 *このホームページは、約40ページにも及ぶ超大作ですので、時間のある時にご覧ください。
 
 *今回の旅行は、第62回神宮式年遷宮と言うことで、2年前から伊勢神宮参拝が、新屋日吉神社で計画されていた。毎月行われている日吉敬神会の月次祭で会う方が多く参加した。
 
●2014/03/03(月)=伊勢神宮参拝紀行一日目
 
 ・自宅 → 秋田空港 → 伊丹空港 → グリーンリッチホテル(昼食) → 高野山(奥の院、総本山 金剛峰寺(こんごうふじ)、伽藍) → 高野山 遍照尊院(泊)
 
05:00  起床。何か時間が気になって寝られない。久しぶりにこんな時間に起きた。支度をしながら、サンドイッチで朝飯も食べる。空港に行っても時間が無さそうだからである。
 
06:20  自家用車で新屋を出発。今朝は雪が降らなかった。
 
06:30  直ぐ近くの同行者を拾って、新屋高校前から豊岩方面へ。
 
07:05  秋田空港着。積雪も考え、立体駐車場へ。さすがこの時間はガラガラで、出口に一番近い角に停めた。30人が集まって、添乗員から搭乗券を預かり、手荷物を預ける。
 
08:15  ANAのボンバルディア機(DHC8-Q400)で秋田空港を離陸。プロペラ機に乗るのは、あのYS-11以来である。初めは列島の中央で山の上を飛んだようだが、愛知県あたりから大平洋沿岸沿いで、四日市上空も飛んだ。2千メートルの上空なので、景色がよく見える。
 
 ▼ANAのボンバルディア機(DHC8-Q400)
 
10:00  大阪の北、伊丹空港に着陸。手荷物を転がしながら、バスターミナルでバスに乗り込む。2年前の京都旅行と同じ光景である。
 
11:00  空港の直ぐ近くのグリーンリッチホテルで昼食。軽くビールも頂く。
 
 ▼グリーンリッチホテル(昼食) 
 
13:30  バスは、大阪の中心地 中之島公園の脇を抜けた。2000年10月に会議で神戸に向かったおりに、北の新地や梅田付近をかっ歩した? 大阪湾岸の道路を一路南に向かう。関西空港入口付近から山の中に入り、 和歌山県伊都郡かつらぎ町の道の駅で、一息入れる。皆さん、物産品展示販売でみかんや柿を買っていた。私は、滅多に買えない国産の干し柿を買った。
 
 ▼道の駅かつらぎ(休憩) 
▼道の駅かつらぎ 干し柿
 
 ここからは山道に突入して、右や左の登り坂で、1時間は続いた。シートベルトで身体の揺れを押さえ、じっと我慢をしていたが、もう少しで酔いそうであった。
 
14:40  標高千メートルの高野山に着いた。ここは山に囲まれた盆地なのである。バスには、専門のガイドが乗り込み、寺の奥まで案内してくれた。
 
 ▼高野山  *下のガイドマップの方が詳しいです。
~~~~~ 高野山 ウィキペディアより ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ・和歌山県伊都郡高野町にある標高約1,000m前後の山々の総称。平安時代の弘仁10年(819年)頃より弘法大師空海が修行の場として開いた高野山真言宗、ひいては比叡山と並び日本仏教における聖地である。現在は「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場を中心とする宗教都市を形成している。山内の寺院数は高野山真言宗総本山金剛峯寺(山号は高野山)をはじめ117か寺に及び、その約半数が宿坊を兼ねている。
 
 ▽高野山ガイドマップ(PDF)
 
15:15  バスを降りて、中の橋から歩いて奥の院に向かう。参道はお墓だらけで、霊場らしい異空間である。本堂の地下に入ると、弘法大師の御廟と灯籠堂があった。
 
中の橋 御廟までは約1km 韓国式
ロケット? 落書き墓石 墓石街道?
三途の川? 御廟橋から奥の院へ 壇上墓石
 
 ▽奥の院 
 ・弘法大師の御廟と灯籠堂がある(世界遺産)。参道には、皇室、公家、大名などの墓が多数並び、その総数は正確には把握できないものの、20万基以上はあると言われている。戦国大名の6割以上の墓所がある。一の橋から御廟までは約2kmの道のりとなっている。
16:30  またバスでちょっと移動して、総本山 金剛峰寺へ。
 
バスで移動 総本山 金剛峰寺
「蟠龍庭」は日本最大の石庭
 
 ▽総本山 金剛峰寺(こんごうふじ) 
 ・高野山真言宗の総本山で座主の住寺(世界遺産)。金剛峯寺は元は高野山全体の称だが、現在金剛峯寺と呼ばれるのは明治2年(1869年)に2つの寺院が合併したもの。もと青巖寺(剃髪寺)と呼ばれた寺院は文禄2年(1593年)、豊臣秀吉の建立、文久3年(1863年)、再建。歴代天皇の位牌や高野山真言宗管長の位牌をまつっている。大主殿、別殿、新別殿と分かれており、別殿では観光客に湯茶の施しがある。襖に柳鷺図のある柳の間は豊臣秀次の自刃の間。屋根の上に置かれた防火用の水桶は、かつては高野山全域で見られたが今も置かれているのはここのみ。また、金剛峯寺境内にある「蟠龍庭」(2,340m2)は日本最大の石庭。
 
17:08  まだ有るのと言う感じで、またちょっとバスで移動して、壇上伽藍へ。
 
金堂 不動堂
大塔 大鐘楼
 
 ▽壇上伽藍 
 ・弘法大師・空海が曼荼羅の思想に基づいて創建した密教伽藍の総称であり、高野山の二大聖地の一つである(ほかの一つは奥の院)。金堂は高野山全体の総本堂で高野山での主な宗教行事が執り行なわれる。ほかに大塔、御影堂、不動堂などが境内に立ち並び、不動堂は世界遺産に登録されている。また、弘法大師伝説のひとつである飛行三鈷杵がかかっていたとされる「三鈷の松」や、高野四郎(俗称)と呼ばれる大鐘楼も伽藍に存する。
~~~~~ 高野山 ウィキペディアより 終わり ~~~~~~~~~~~~~~
 
17:30  バスで降りたところとは反対側に再建工事中の中門が有った。そこから歩いて直ぐ先が宿で、バスが待っていた。
 
 ▼高野山金剛峯寺伽藍中門再建工事(大林組にリンク)
 
 ▼高野山 遍照尊院(泊)  
 ・弘仁の昔、弘法大師が高野山開創にあたって、苦修練行された聖地で、内の八葉の一つ「遍照ヶ峰」の「遍照ヶ岡」に建立されています。大師がこの地で修業された時、不思議と四囲が光明に輝き、香気林に満ち、摩訶毘慮遮那如来如意宝生の三昧を体得されました。故に遍照ヶ岡と名づけられ、この地のご本尊両界大日如来の本院が建立され、その名もお大師様のご宝号のままの遍照尊院と称されました。江戸時代には、津軽家との檀縁深く、その関係文献画像も数多く残されています。その後、明治25年の大火で焼失しましたが、昭和9年の弘法大師御入定1100年ご遠忌を記念して再興に取り掛かり、50年を経て現在に至っております。
 
18:45  お風呂に入った後、大広間で精進料理の夕食。ごく少量のお料理で、残さず全部食べた。宿坊では、普段はお酒を出さないらしいが、ビール・日本酒を名前を変えて出してくれた。お燗をしたお酒を出してきた時には吃驚、熱くて持たれない。それでも秋田県人(新屋衆?)は凄い。熱燗が間に合わないペースなのである。十分に呑まないうちに、終了となった。
 
大広間で精進料理の夕食
精進料理 新館の客室 薬草のお風呂
 
 ▽ごまどうふ(平) 
 ・お豆腐とは名がつくものの、じつはお豆腐ではなく、白胡麻と吉野葛を練り上げて造ったものです。高野山精進料理には、かかすことのできないもので胡麻の香りと、なめらかな舌ざわりを味わう料理です
 
 ▽高野しぐれ 
 ・色つやが貝のしぐれに似ているところから”高野しぐれ”と名付けられた「麩」をつかった珍味でございます。
 
21:30  同室4人で、部屋呑みも出来なく、早々に寝てしまった。
 
 ◇高野山でのお土産一覧
*玄関に飾って、魔除け? ▽御朱印 ▽ごまどうふ
*土産袋? *宿からのお土産で、お茶とお菓子
 
 
●2014/03/04(火)=伊勢神宮参拝紀行二日目
 
 ・宿坊 → 天理PA → 伊賀上野(昼食) → 伊勢神宮外宮参拝 → 夫婦岩 → 鳥羽 戸田家(泊)
 
05:30  金堂で、朝6時から法要があるとのことで、有志が向かいました。その準備で、早朝から起こされてしまった。山の夜明けは遅くて、6時過ぎても暗かった。
 
07:00  朝風呂は無いとことで、やることは無い。昨日の大広間に、朝食に向かう。
 
08:30  宿坊を出発。山門から高野山の山を下りる。登りの時とは違って、左右の揺れが小さい気がする。しかし、殆どの道路がバスでは交差出来ない道幅で、良くここまで登ってきたものだと感心した。
 
11:00  山を下りて、「天理PA」で休憩。奈良県大和郡山市の西名阪自動車道上にあるパーキングエリア。ここで柿の葉すしを買って、今夜の部屋飲みで食べた。美味しかった。
 
 ▼天理PA(休憩) 
 ・天理パーキングエリア(てんりパーキングエリア)は、奈良県大和郡山市の西名阪自動車道上にあるパーキングエリア。パーキングエリアの直後を挟む形で天理TBがある。また、名称は「天理PA」であるが、実際には天理市のすぐ隣にある大和郡山市に設置されている。
 2000年3月に西名阪自動車道初のPAとして開業。2008年4月には大幅にリニューアルオープンして広くなり、ほぼ全ての施設が24時間営業となった。
 
12:00  伊賀ドライブインに着いた。二階に案内されて昼食。
 
伊賀ドライブインで昼食 すべてこのバスで移動
 
 ▼伊賀ドライブイン(昼食) 
 ・伊賀忍者や松尾芭蕉のふるさととして有名な三重県伊賀市柘植町にある癒しの空間。旅人と 地元住人の心が触れ合う、そんな場所です。
 
14:15  伊勢神宮外宮に到着。入口には防火のためにつくられた掘川が流れていて、火除橋(ひよけばし)を渡り神域に入るとすぐ左側に手水舎があった。ここで手を洗い口をすすいで心身を清め、第一鳥居をくぐり、小砂利の表参道を正宮へと向かった。
 
 ▼伊勢神宮外宮参拝(公式ページ) 
 ▽伊勢神宮外宮ガイドマップ
 
手水舎 第一鳥居
 
~~~~~ 伊勢神宮 ホームページより ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ・豊受大御神(とようけのおおみかみ)をお祭り申し上げる豊受大神宮は、内宮(ないくう)に対して外宮(げくう)とも申し上げます。雄略(ゆうりゃく)天皇は、夢の中で天照大御神のお教えをお受けになられ、豊受大御神を丹波(たんば)の国から、内宮にほど近い山田の原にお迎えされました。今からおよそ1500年の昔のことです。
 豊受大御神は御饌都神(みけつかみ)とも呼ばれ、御饌、つまり神々にたてまつる食物をつかさどられています。このことから衣食住、ひろく産業の守護神としてあがめられています。内宮と同じく、正宮と呼ばれますように、建物やお祭りはほとんど内宮と同様ですが、両宮は決して並列されるものではなく、あくまで内宮が神宮の中心なのです。
~~~~~ 伊勢神宮 ホームページより 終わり ~~~~~~~~~~~~~~
 
 *旧正宮に着いた。20年間の風雪に耐え、苔むした感じになっていた。新正宮で一般参拝してから、神職の案内で柵の中に入り、当宮司と一緒に参拝した。大玉砂利が黒と白に分かれ敷かれ、神聖な場所である。
 
旧正宮 新正宮
 
 *その後、新正宮の横を通り、旧正宮の裏手に回り中に入った。そして正面から退出したのである。別宮である土宮と多賀宮、風宮も参拝した。表参道を戻る途中で、よく会う会社のOBと遭遇。何でここで会うのと言う感じで、吃驚した。そして、遷宮館では親戚の人とも遭遇。後で聞いたら、二人とも河辺支部の団体で来ていると言う。
 
旧正宮 旧手水
別宮「土宮」 別宮「多賀宮」 別宮「風宮
 
16:20  30分ほどで、景勝地「夫婦岩」に到着。土産物店が並ぶ中を抜け、海岸沿いを向かう。奥には、天岩戸の神社があり、記念撮影でごった返していた。ここでも、さっきの知人と遭遇。3人揃って記念撮影をした。
 
景勝地「夫婦岩」 二見興玉神社 3人揃って記念撮影
 
 ▼夫婦岩(二見浦) 
 ・夫婦岩は、沖合約700M先に鎮まります興玉神石、また日の大神を拝する鳥居の役目をしております。日の出で名高い夫婦岩ですが、実際に岩の間から日の出を見ることが出来るのは5月~7月の間です。6月の夏至の前後1週間は岩の中央から日の出が昇り、天気が良ければその背に霊峰富士を仰ぐことが出来、筆舌に尽くし難い感動を覚えます。この季節になると、早朝の境内は多くの修学旅行生や観光客、カメラマンで境内は大変賑わいます。
 
17:30  辺りは暗くなってきて、今日の宿である「鳥羽 戸田家」に着いた。直ぐ近くが鳥羽駅で、裏手が港の景勝地にある。新館の嬉春亭に泊まった。早速入浴。
 
港の夜景 左奥、波打ち際が見える露天風呂
 
 ▼鳥羽 戸田家(泊) 
 ・伊勢志摩・鳥羽の旅館 戸田家で温泉と料理を満喫。鳥羽の駅前の海岸沿いに建ち伊勢 神宮にも交通の便が良い、館内には24時間営業の露天風呂をはじめ、しゃこ貝、たぬき 風呂など趣向を凝らした5つの無料貸切風呂も紹介する戸田家公式サイトです。
 
18:45  ここで事件が発生!! 夕食の時間と、中型トランクを閉めたら、浴衣の裾が挟まり、空かなくなった。同室の人に助けてもらったが、どうにも空かない。夕食の時間も迫っているし、挟まった浴衣を脱ぎ捨て、別の浴衣を着て向かった。
 
  
皆さん揃って夕食 伊勢エビの豪華料理
 
 *夕食は、伊勢エビも出てきて、昨日とは違って豪華料理。昨日の呑み不足を取り返そうと、ガンガン行ったようである。二次会で、カラオケに行ったら、一行で大作を唄う人が現れた。これには参った。
 
 *部屋に戻っても、酒宴は続いた。
 
 
●2014/03/05(水)=伊勢神宮参拝紀行三日目
 
 ・ホテル → 伊勢神宮内宮参拝 → おかげ横丁 → 割烹 大喜(昼食) → 三井寺 → 雄琴温泉 緑水邸(泊)
 
07:00  昨日の深夜までの飲みがたたって、誰も起きなかった。今朝も風呂無しで、呆然としていた。
 
07:30  少し遅れて、朝食会場へ。朝飯にしては豪華な朝食である。
 
08:45  宿を出発。今日は雨のようである。
 
09:00  大雨の中、「伊勢神宮内宮」鳥居の前に着いた。ここで一同記念撮影。早く撮影を済ませようと、数名の写真業者から必死の指示が飛んで、2回のシャッターを押すのに、1分とかからなかったような気がする。
 
 ▼伊勢神宮内宮参拝(公式ページ) 
 
 
 ▽伊勢神宮内宮ガイドマップ
 
~~~~~ 伊勢神宮 ホームページより ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ・皇室の御祖神である天照大御神(あまてらすおおみかみ) をお祀りしています。内宮の奥に広がる神路山・島路山を源とする五十鈴川の川上に鎮座しています。五十鈴川の清流にかかる宇治橋を渡ると参道は深い森につつまれ、静かで神々しい空気を感じることができるでしょう。
 内宮に鎮まる天照大御神は、我が国で最も貴く、国家の最高神とされています。御神名はいくつかの表記法がありますが、一般には天照大御神(あまてらすおおみかみ)の表記が最も親しまれています。
 
09:30  雨の中、大鳥居をくぐり、五十鈴川に架かる宇治橋を渡り、参道を進むと五十鈴川と御手洗場(みたらし)が見え、手水舎で清めた後、先に神楽殿に向かった。
 
大鳥居と宇治橋 左が、五十鈴川と御手洗場
 
 ▽宇治橋
 内宮への入口、五十鈴川にかかる宇治橋は、日常の世界から神聖な世界へのかけ橋といわれています。宇治橋外側の正面から見る大鳥居の姿は感動的であり、身も心も正して清浄な宮域に入る心構えの大切さを感じさせてくれます。
 宇治橋は20年毎に、かけ替えられます。全長101.8m、巾8.421mで、欄干の上に16基の擬宝珠(ぎぼし)を据えた純日本風反(そ)り橋で檜(ひのき)で作られていますが、橋脚の部分は欅(けやき)を使用します。
 宇治橋の外と内に高さ7.44mの大鳥居が立っていますが、内側の鳥居は、内宮の旧正殿(しょうでん)の棟持柱(むなもちばしら)が用いられ、外側の鳥居は外宮のものがあてられます。さらに20年たつと、内側の鳥居は鈴鹿峠のふもとの「関の追分」、外側の鳥居は桑名の「七里の渡」の鳥居となります。ともに正殿の棟持柱となって以来、60年のお勤めを果たしています。
 
 ▽五十鈴川と御手洗場(みたらし)
 ・清らかさの象徴内宮参道の右手のゆるやかな斜面を下りていくと、元禄5年(1692年)徳川綱吉の生母、桂昌院が寄進したものといわれる石畳を敷き詰めた五十鈴川岸の御手洗場にでます。神路山を水源とする神路川と、島路山を源とする島路川の二つの流れが、合流して五十鈴川となります。
 神域の西側を流れる五十鈴川は別名「御裳濯(みもすそ)川」と呼ばれ、倭姫命(やまとひめのみこと)が御裳のすそのよごれを濯がれたことから名付けられたという伝説があります。水源を神路山、島路山に発する、神聖な川、清浄な川として知られる五十鈴川の水で心身ともに清めてから参宮しましょう。
 
09:30  別室で少し待機した後、神楽殿の「御饌(みけ)殿」に案内された。ここでは、我々に向けた祝詞が奉納され、巫女に寄る舞と、二つ神楽が舞われた。ここに来て『新屋の町民を代表して、伊勢神宮の神々に報告と感謝』の大役であることが分かりました。
 
 ◇別大々神楽(べつだいだいかぐら) [倭舞・人長舞・納曽利(なそり)]
 
  ・倭舞=世にいう大和舞とはちがい、神宮独特の優雅な乙女舞です。舞女が緋色の長袴に、白羽二重の千早をつけ、紅梅を飾った天冠を頂き、右手に五色の絹をつけた榊の枝を持って、楽師等の歌にあわせて、4人または6人、8人で舞います。伴奏に用いる和琴、笛、篳篥の調べは、単調なうちにも幽玄な情趣があります。
 
 ・人長舞=人長とは神楽人の長のことで、人長が榊の枝に御鏡を模した輪を取り付けたものを、右手に持って一人で舞う古式ゆかしい典雅な舞です。
 
 ・納曽利(なそり)=高麗楽の舞は右舞(うまい)といい、青色を基調とする装束で舞います。
 
 ▽内宮神楽殿(ないくうかぐらでん)  「御饌(みけ)殿」
 ・参道の左側、銅板葺・入母屋造の建物で、向かって右端から「神楽殿」「御饌(みけ)殿」「御神札授与所」があります。参拝者のお申し出により、神恩感謝やご祈願の御神楽の奉奏、御饌(みけ)を奉奠しての御祈祷や献金、皇大神宮の御神札(おふだ)・御守・暦・御神号軸などの授与を取り扱っています。内宮参拝記念の御朱印もここでいただいてください。
 
10:00  神楽が終わった後、雨の中で新正宮に向かった。ここでも一般参拝した後、宮司さんと中に入り参拝したが、雨のためあっという間の終わった。旧正宮は見る余裕は無かった。
 
新正宮の前
 
 ▽正宮
 ・垂仁天皇26年にご鎮座されてから、2000年。4重の御垣に囲まれた一番奥にあるご正殿に、天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)がお鎮まりになっています。唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)と名付けられる建築様式のご正殿はじめ付属の殿舎ならびに御垣は、20年に1度、式年遷宮の大祭を行って建て替えられてきました。遷宮によって、2000年昔と変わらない姿を今も拝することができるのです。
~~~~ 伊勢神宮 ホームページより 終わり ~~~~~~~~~~~~~~
 
10:15  「御稲御倉」「外弊殿」と回り、別宮「荒祭宮」で参拝した。すでに旧荒祭宮は無かった。参集殿に戻って一休みしても雨が止まないため、そのまま大鳥居に戻った。
 
御稲御倉 外弊殿 別宮「荒祭宮」
 
10:50  集合時間と場所を決めて、大鳥居の直ぐ横にある「おはらい町/おかげ横丁」の散策に入った。ここで買い物をしたいが、昨日のトランク事件で、財布が中に入ったままで無銭状態。途中もっきり屋があったが、有料で出来ずまい。おかげ座まで行ったが、帰りは来た道を戻らず、土産店の無い広い道を通り、集合場所近くにあったバス案内所にたどり着いた。
 
おはらい町 おかげ横丁
おかげ横丁
 
 ▼おはらい町/おかげ横丁 
 ・伊勢神宮へのおかげ参りブームが起こった江戸から明治期の伊勢路の 建築物を移築などで再現、三重県や伊勢地方の魅力を凝縮しています。老舗の味から 名産品、歴史や風習、人情まで一度に体感でき、食べ歩きやショッピングも充実。
▽おはらい町/おかげ横丁ガイドマップ
 
11:14  集合時間までしばらくあるので呆然としていたら、新屋からパソコン相談の電話があった。しばらく相談に応じて、最後に伊勢神宮に居ると言ったら驚いて切った。
 
12:20  近鉄宇治山田駅前の割烹「大喜」で昼食。大雨の中を歩いて、革靴がビジョビジョ。靴を脱いで、二階の明るい大広間に案内され、畳敷きの和室用テーブルと椅子に腰を掛けた。幕の内弁当で一杯も頂く。いや一杯以上かな?
 
 ▼割烹「大喜」(昼食) 
 
 ・伊勢神宮おひざもとの老舗割烹「大喜」。 伊勢は恵まれた自然環境の中、豊富な山海の 幸が集まる街です。 大喜は伊勢志摩の旬の素材を中心に、和の情緒を込めたお料理と 心を込めたサービスで お客様のかけがえのないひとときを演出いたします。
 
14:30  1時間ほど走って、滋賀県甲賀市にある新名神高速道路にある「土山サービスエリア」に着いた。物凄い大型車の数で、駐車場も広い。上り下りの供用パーキング。だから間違うと反対に出て、分からなくなる。秋田自動車道で言うと、錦秋湖SAと同じである。出店の数も多くて、人も多い。超大型SAだ!! 私は人混みを避けて、外の出店からカップ珈琲を買って、車内で呑んだ。
 
 ▼土山SA 
 ・一本の道がビジネスを、観光を、そして毎日を変えていく。 行きたい場所へ、逢いたい人のもとへ少しでも早く、そんな中でのオアシス おいしい空気と豊かな田園風景、鈴鹿峠の山麓に位置するサービスエリア。 長距離移動の途中の休息に、またご家族や気の合う仲間とのひとときを お過ごしいただけます。きっとご満足いただけるでしょう。
 ・上下線集約型のサービスエリア上り線駐車場 166台(小型 88台 大型 78台)  下り線駐車場 166台(小型 88台 大型 78台)
 
15:35  約1時間ほど走って、滋賀県大津市、琵琶湖南西部にある「三井寺」に着いた。パンフレットの拝観順にしたがい、13の仏閣を約1時間かけて廻った。
 
 ▼三井寺 
~~~~~ 三井寺 ホームページより ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ・三井寺は、正式には「長等山園城寺(おんじょうじ)」といい、天台寺門宗の総本山です。平安時代、第五代天台座主・智証大師円珍和尚の卓越した個性によって天台別院として中興され、以来一千百余年にわたってその教法を今日に伝えてきました。
 滋賀県大津市、琵琶湖南西の長等山中腹に広大な敷地を有しています。観音堂は西国三十三所観音霊場の第14番札所である。また、湖国近江の名勝、近江八景の一つ「三井の晩鐘」でも知られています。
 
 ▽三井寺ガイドマップ
 
 1.大門(仁王門)
  ・重要文化財 室町時代(宝徳四年 1452)
  ・三間一戸楼門 入母屋造 桧皮葺
  大門(仁王門)
 
*絵葉書より
 
  ・三井寺中院の表門で、東面して建ち、両脇の仁王像が山内を守護しています。記録によると、天台宗の古刹常楽寺(湖南市石部町)の門で、後に秀吉によって伏見に移され、慶長六年(1601)に家康によって現在地に建てられたとしています。
 
 2.釈迦堂(食堂)
  ・重要文化財 室町時代
  ・正面七間 側面四間 一重 入母屋造 桧皮葺
  ・大門(仁王門)を入ってすぐ右手に、南面して建つ比較的に簡素な造りの堂です。 秀吉による破却の後、清涼殿を移築したものとの伝えもありますが、室町時代に建立されたものと思われます。
 「園城寺境内古図」には、大門を入ってすぐ右手に食堂が描かれており、この堂も食堂として移築されたものと思われますが、現在は清涼寺式釈迦如来像を本尊とする釈迦堂として信仰されています。
 
 3.金堂
  ・国宝 桃山時代(慶長四年 1599)
  ・正面七間 側面七間 一重 入母屋造
  ・向拝一間 桧皮葺
*絵葉書より
 
  ・現在の金堂は、豊臣秀吉の正室北政所によって再建されたもので、三井寺境内でもひときわ大きく威容を誇っています。また本尊弥勒菩薩もここに安置されています。
  ・特徴=内部は外陣・中陣・後陣に別れ、中陣は中心となる内陣の両側に脇陣を設けています。内陣以外の床は全て板敷とするのに対して、内陣は土間のままとしており、伝統的な天台系本堂の形式をよく伝えています。
 
 4.鐘楼(三井の晩鐘)
  ・重要文化財 桃山時代(慶長七年 1602)
  ・正面一間 側面二間 一重 切妻造 桧皮葺
  ・近江八景のひとつ三井の晩鐘で有名な巨大な梵鐘を吊る鐘楼で、金堂の南東に建てられています。周囲には、下に腰板を廻らし、上は連子をはめています。近年まで屋根は瓦葺であったが、修理時における調査の結果、建立当初は桧皮葺であったことが判明し、現在は桧皮葺に改められています。
 
 5.閼伽井屋、三井の霊泉(閼伽井屋内部)
  ・重要文化財 桃山時代(慶長五年 1600)
  ・正面三間 側面二間 一重 向唐破風造 桧皮葺
閼伽井屋 三井の霊泉
 
  ・閼伽井屋は金堂西側奥に金堂と接して建っています。 この内部には井泉が湧き、天智・天武・持統天皇の 産湯に使われたことが三井寺の名前の由来になっています。彩色や壁画が認められ、桧皮葺の屋根は丸いカーブを描いています。
 
 6.梵鐘(弁慶鐘)
  ・重要文化財 奈良時代
  ・銅鋳造 一口 総高199.0cm
  ・身高156.0cm 口径123.2cm
 *絵葉書より
  ・金堂西方の霊鐘堂に安置される古鐘で、園城寺では数少ない智証大師入山以前の遺品です。
  ・特徴=龍頭と直角で、しかも比較的高い位置に撞座があります。外に張り出さない駒の爪。中世の遺品が一区内四段四列を標準とする乳の数を、五段七列としています。
  ・この時代の現存遺品は全国で十数口確認されていますが、それらの中でも東大寺鐘に次ぐ規模を誇ります。しかし、鋳上がりは悪く、傷や欠損があり、俗に弁慶引摺鐘とよばれています。「寺門伝記補録」には文永年間にこの鐘が叡山に持ち去られていたとの記事があるので、 これらの損傷は山寺両門の抗争の名残と思われます。 幾度となく焼き討ちに逢った当寺の苦難の歴史を象徴する遺品と言えます。
 
 7.一切経蔵、八角輪蔵
  ・重要文化財 室町時代
  ・正面三間 側面三間
  ・一重 もこし付 宝形造 桧皮葺
三重の塔と一切経蔵 八角輪蔵
 
  ・一切経蔵は一切経を安置するための堂で、 内部には一切経を納める回転式の巨大な八角輪蔵が備えられています。
  ・特徴=山内には珍しい禅宗様の堂ですが、もとは国清寺の経蔵で、 慶長七年(1602)に毛利輝元によって移築されたものです。 輪蔵には、高麗版一切経が納められており、また天井から 円空仏七体が発見されています。
  ※国清寺:山口市内にあった禅宗寺院。毛利氏との縁の深いお寺でした。
 
 8.唐院大師堂
  ・重要文化財 桃山時代(慶長三年 1598)
  ・正面三間 側面二間 一重 宝形造 桧皮葺
  ・唐院は智証大師円珍が天安二年(858)、入唐求法によって請来した経典や 法具を、貞観十年(868)に内裏の仁寿殿を下賜されてそこに納め、 伝法潅頂の道場としたことに始まります。
  ・特徴=大師堂には、二体の智証大師像(中尊大師・御骨大師)と黄不動尊立像の 三体が安置されています。比較的簡素な構えですが、参道より一段高く塀に囲まれたこの一郭は 独特の趣を見せています。
 
 9.微妙寺=*我々が行ったら、扉を開けてくれた。
  ・十一面観音立像(じゅういちめんかんのんりゅうぞう)
  ・重要文化財 平安時代(九世紀)
  ・木造 彩色 像高81.8cm
微妙寺 十一面観音立像
 
  ・園城寺別所の尾蔵寺の旧本尊と伝えられ、参拝人が多数押しかけて 人々の笠が破れたことから俗に「笠ぬげの観音」と呼ばれて信仰されました。現在は、湖国十一面観音霊場第一番札所のご本尊として、山内の微妙寺に安置されています。
  ・特徴=ヒノキの一木造で、台座の蓮肉も同じ材から彫り出されています。現在では、全身が古色に覆われていますが、裳は朱彩され、截金(きりかね)による花文も残されています。 
 ・初期小檀像の中では特異な位置をしめます。像高三尺にも満たない小さな像ですが、頬や胸・腹、また下半身の肉付けは豊かで大像の風格を持ちます。眉や唇、衣文の彫りは鋭く明快で、衣には巻き込みの大きい渦文が表されて九世紀彫刻の迫力を感じさせます。
 
 10.毘沙門堂
  ・重要文化財 江戸時代(元和二年 1616)
  ・正面一間 側面二間 一重 宝形造 桧皮葺
  ・毘沙門堂は、もともと園城寺五別所のひとつ尾蔵寺の南勝坊境内に元和二年(1616) に建立され、明治以降に三尾社の下に移築、戦後の修理に際して現在地に移りました。内部には文様などが彩色で描かれており、桃山建築の系譜を受け継いでいます。 
 
 11.観音堂
  ・県指定文化財 江戸時代(元禄二年 1689)
  ・礼堂:正面九間 側面五間 二重 入母屋造 本瓦葺
  ・正堂:正面三間 側面二間 一重 入母屋造 桧皮葺
  ・西国三十三箇所観音霊場の第十四番礼所として、篤く信仰されています。本尊は如意輪観音。 貞享三年(1686)に火災にあい、元禄二年に再建された大きな堂です。礼堂・合の間・正堂からなり、内部には多くの絵馬が奉納されています。 その中には観音堂再建の様子を描いた「石突きの図」や、その「落慶図」も残されています。
 
 12.水観寺
  ・県指定文化財 江戸時代(明暦元年 1655)
  ・正面四間 側間五間 一重 入母屋造 柿葺
  ・西国薬師霊場第四十八番札所。長久元年(1040)、明尊大僧正によって創建された園城寺の五別所寺院のひとつ。別所寺院とは、平安時代から仏法を布教し、多くの衆生を救済するために本寺(本境内)の周辺に設けた別院のことです。
 ・現在の本堂は、明暦元年(1655)の再建で、昭和六十三年(1988)に現在地に移築されました。ご本尊、薬師如来は、一切衆生を病苦、災難から救済する仏として、いまも人々の尊崇をあつめています。
 
 13.護法善神堂
  ・市指定文化財 江戸時代(享保十二年 1727)
  ・本尊は護法善神として鬼子母神を祀っています。鬼子母神は従来人間の児を奪い食する悪鬼でしたが、釈尊がこれを聞き、母神の子を鉢で隠したところ、狂髪・啼哭して悲しみました。釈尊が慈愛を垂れたところ、仏教に帰依し、以後善女神になったといわれています。
 ・毎年五月の中頃に開催している千団子祭の日には鬼子母神の千人の子供たちを供養するために千の団子を供え、堂前の放生池には諸衆の願いをこめた霊亀を放す放生会が行われます。 
~~~~~ 三井寺 ホームページより 終わり ~~~~~~~~~~~~~~
 
17:30  見覚えのある大津市内を抜けて、今日の宿である雄琴温泉「びわこ緑水亭」に着いた。湾内を見下ろす部屋に着いたら、窓の向こうに2年前に泊まった「琵琶湖グランドホテル」が見えた。テラスには露天風呂があり、私だけここに入った。皆さんは、大浴場に向かった。露天風呂はぬるめで、私には最高。ただ、ガラス張りの洗い場は、水圧が低くて頂けない。
 
 ▼雄琴温泉 びわこ緑水亭(泊) 
 ・滋賀県淡海。穏やかで、柔らかな琵琶湖の情景がうかんできます。この琵琶湖の西岸、後ろに緑濃い比叡山系を背負い、前面に広々とした琵琶の湖を望む秀麗の地。与えられた自然の恵みを生かした設計コンセプト、寛ぎの「時」を何より大切にお過ごしいただけるよう配慮したしつらえ。温泉が配湯された湖面の露天風呂付客室等、眺望を堪能いただける解放感あふれる旅館。
 ・カッシーナのインテリアでまとめられた広々とした旅館のロビーに着き、絵葉書のような琵琶湖の風景を目にするだけで、すっかり心がほぐれてしまうはず。料理も八寸や向付けに披露される本格懐石の技は、ため息がでるほどの美しさ。そんな別格の美味を楽しんだ後は、部屋のテラスで滋賀の風に吹かれてつつゆったり温泉で温って下さい。
 
18:45  夕食に向かったら、添乗員が気を遣って、抽選で席を決めてくれた。確かに昨日までは、同じ部屋同士が固まっていた。今日は牛のしゃぶしゃぶである。
 
 
20:45  2時間の飲み放題が終わって部屋に戻ったら、冷蔵庫は何も入っていない。カウンターで聞いたら、部屋に持って行くという。注文してラウンジを見たら、カウンターバーで呑んでいる人がいた。どうせお酒は勝手に行っているからと、二次会はここに決めた。約30年前の富山県庄川の光景である。
 
  ▽二次会 カウンターバー 
 
??:??  部屋に戻っても、二次会は続いていた。
 
 ◇伊勢神宮でのお土産一覧?
 ◇三井寺でのお土産一覧
 
 
●2014/03/06(木)=伊勢神宮参拝紀行四日目
 
 ・ホテル → 日吉大社参拝 → 彦根城 → レストランハイウェー(昼食) → 多賀神社 → 伊丹空港(各自夕食) → 秋田空港 → 自宅
 
06:30  起床。窓を開けたら、絵になるような雪景色。昨日行かなかった大浴場に入浴。別棟のようで、途中外に出るところが多く、寒い。
 
 
07:15  昨日と同じ部屋で朝食。今日は出発まで時間があるので、雪景色を取ったりして、ゆっくり過ごした。短時間だが、朝寝もした。向かいのホテルから9台ものバスが出発した。これが何の団体か後で分かった。
 
09:00  バスでホテルを出発。毎日同じガイドさんと、運転手だったが、今日が最後のバスである。
 
09:20  殆ど地元なので、あっという間に「日吉大社」に着いた。当神社の総本宮だから、何か本家に来た感じで、馴染みのある光景である。西本宮本殿の拝殿で、一同、祝詞を上げてもらってから、宮司の挨拶がしばらく続いた。何でも、翁宮司にお世話になったそうです。
 
入口の鳥居 絵馬 *雪が降り積もって桜が咲いたようだ
参道 西本宮拝殿 床下の石垣
 
 ▼日吉大社参拝 
 ・比叡山の麓に鎮座する当大社は、およそ2100年前、崇神天皇7年に創祀された、全国3800余の日吉・日枝・山王神社の総本宮です。平安京遷都の際には、この地が都の表鬼門(北東)にあたることから、都の魔除・災難除を祈る社として、また伝教大師が比叡山に延暦寺を開かれてよりは天台宗の護法神として多くの方から崇敬を受け、今日に至っています。
 
 ▽日吉大社ガイドマップ
 
 *境内は、主に山王21社の社殿があり、約1時間かけて祢宜さんが案内してくれた。
 
 1.大宮橋(おおみやばし)
  ・重要文化財=江戸時代
大宮橋
 
  ・境内を流れる大宮川に架かる石造桁橋。木造の橋を模した高覧付きの美しい反り橋で、すこし下流に架かる走井橋、二宮橋とともに「日吉三橋」として知られる。三橋ともに石橋で重文。1669(寛文9)年の建造でそれ以前は木橋であった。
 
 2.山王鳥居(さんのうとりい)
合掌鳥居
 
  ・ふつうの明神鳥居の上に合掌組みと束(つか)がついた日吉社独特の鳥居。神道と仏教が結びついて生まれた、山王神道の教義を表したものと言われている。「合掌鳥居」とも呼ばれています。
 
 3.神猿(まさる)
神猿
 
  ・お猿さんは神様の使いで「神猿」と呼ばれ「魔が去る・何よりも勝る」として縁起の良いものとされてきました。
 
 4.西本宮楼門(にしほんぐうろうもん)
  ・重要文化財
西本宮楼門 木造のお猿さん
 
  ・軒下の四隅に注目!木造のお猿さんが楼門を守ってくれています。
 
 5.西本宮本殿(にしほんぐうほんでん)
  ・国宝=桃山時代
  ・御祭神=大己貴神(おおなむちのかみ)
国宝「西本宮本殿」 木製の狛犬
 
  ・桁行五間、梁間三間、檜皮葺き。正面と左右に庇がつく日吉造り。聖帝(しょうたい)造りともいい、現存する社殿としては、日吉大社の東西本宮と宇佐宮にのみ見られる形である。大宮、大比叡とも呼ばれ、平安時代の初め、延暦寺の相応によって、今のような形に作り替えられたと言う。現在の社殿は、1586(天正14)年に建てられました。
 
 5-1.西本宮下殿(にしほんぐうげでん)
  ・国宝=桃山時代
西本宮下殿
 
  ・いわゆる山王七社の本殿床下には、下殿と呼ばれる祭祀施設が造られている。内陣の真下は土間。それ以外は板間とし、明治初年の神仏分離までは仏像を安置、仏事が営まれていたという。
 
 6.神輿収蔵庫(みこししゅうぞうこ)
  ・七基とも重要文化財
三宮と八王子宮の御神輿 宇佐宮と白山宮の御神輿
 
  ・桃山時代から江戸時代にかけて作られた七基の神興を展示。4月には「山王祭」というお祭りが行われます。
 
 *3/2に、山王祭最初の神事である、「神輿上神事(おこしあげしんじ)」が執り行われたそうです。牛尾宮・三宮 二基の神輿が、八王子山麓の登拝口から山上の奥宮へ神輿を担ぎ上げる神事です。
「山王祭」
 *湖国三大祭りである「山王祭」が4月12~14日に行われます。七つの神輿が、「山王祭」では参道を下って、浜から乗船して琵琶湖を巡幸するという。平安絵巻が展開される。
 
 7.宇佐宮本殿(うさみやほんでん)
  ・重要文化財=桃山時代
  ・御祭神=田心姫神(たごりひめのかみ)
宇佐宮本殿
 
  ・摂社。桁行五間、梁間三間、日吉造り、檜皮葺き。田心姫神を祀る。東西の両本宮と同じ日吉造りだが、規模はやや小さい。1598(慶長3)年の造立。聖真子宮(しょうしんしみや)とも言う。
 
 7-1.白山宮本殿(しらやまみやほんでん)
  ・重要文化財=桃山時代
  ・御祭神=菊理姫神(くくりひめのかみ)
白山宮本殿 境内のせせらぎ
 
  ・摂社。三間社流造り、檜皮葺き。加賀国白山からの勧請神(かんじょうしん)である菊理姫神を祭神とする。古来「開かずの御殿」として祭礼の時でも開扉されず、下殿で献饌が行われた。客人宮ともいい、西本宮、東本宮、宇佐宮の「山王三聖」に次いで地位が高い。現在の建物は、1598(慶長3)年の造営。
 
 8.東本宮本殿(ひがしほんみやほんでん)
  ・国宝=桃山時代
  ・御祭神=大山咋神(おおやまいくのかみ)
国宝「東本宮本殿」
 
  ・桁行五間、梁間三間、日吉造り、檜皮葺き。東本宮は、二宮、小比叡(おびき)とも言われる。成立は西本宮より早く、社殿後の縁の中央三間が一段高く造られている点が、西本宮と異なる。現在の社殿は1595(文禄4)年の造営。御祭神の大山咋神は、樹下宮の御祭神である鴨玉依姫神とご夫婦。
 
 9.樹下宮本殿(じゅげみやほんでん)・同下殿
  ・重要文化財=桃山時代
  ・御祭神=鴨玉依姫神(かもたまよりひめのかみ)
樹下宮(左)と東本宮拝殿 樹下宮下殿
 
  ・摂社。三間社流造り、檜皮葺き。祭神は鴨玉依姫神で、十神師宮ともいう。1595(文禄4)年の建立で、華やかな錺金具が豪壮な桃山時代の気風を表している。
  ・樹下宮の御神座の真下に霊泉があり、今も豊かに水をたたえている。
 
12:00  琵琶湖の一番細いところに架かる琵琶大橋で対岸に渡り、彦根市の国宝「彦根城」に着いた。お城だけ有って、階段がきつい。本丸まで上がってもう止めようと思ったが、折角だからと進められ、天守閣まで上がってしまった。下りが足に来そうで、ゆっくり降りてきた。
 
 ▼国宝「彦根城」 
天守閣 廊下橋 天守閣より彦根市内の眺め
 
 ・彦根城(ひこねじょう)は、滋賀県彦根市金亀町にあった城である。江戸時代および1869年(明治2年)の版籍奉還後から1871年(明治4年)の廃藩置県まで彦根藩の役所が置かれた。天守、附櫓及び多聞櫓は国宝、城跡は国の特別史跡かつ琵琶湖国定公園第1種特別地域である。
 
13:00  名神高速 彦根ICすぐそばの「レストランハイウェー」で遅いお昼となった。ここで、巨大団体と遭遇。愛知県豊橋から、バス10台で350名近くの団体である。我々が泊まった向かいの「雄琴グランドホテル」に泊まったようだ。もしかして団体専用か? やたら広い。
 
 ▼レストランハイウェー(昼食) 
 
14:00  多賀大社も極近くで、一同参集殿の部屋に案内された。宮司さんがお話しをされ、ここでも翁宮司の話が出てきた。数々の有名人の絵馬が貼られた廊下を通り、本殿に案内され正式参拝となった。その後本殿をぐるりと廻ってから、太閤秀吉の奉納と伝えられる「奥書院庭園」に案内された。風格のある神社であった。
 
 ▼多賀大社 
社殿
参集殿 本殿
奥書院庭園 多賀名物「糸切餅」
 
 ・伊邪那岐大神 (いざなぎのおおかみ)
 ・伊邪那美大神 (いざなみのおおかみ)
 ・古くから「お多賀さん」の名で親しまれる滋賀県第一の大社です。日本最古の書物「古事記」によると、この両神は神代の昔に、初めて夫婦の道を始められ、我国の国土、続いて天照大神をはじめとする八百万(やおよろず)の神々をお産みになられました。このように、命の親神様であることから、古くから延命長寿、縁結び、厄除けの霊神として信仰を集め、鎌倉から江戸時代にかけては、武家や民衆の信仰が一気に広まりました。
 
17:00  滋賀県から名神高速道路を通り、一気に伊丹空港に着いた。ここで荷物を預けるため、問題のトランクを点検したら、何か開いている風である。皆でやったら空いて、財布を取り出しお土産を詰めた。各自夕食と買い物である。約束の二人で、南ターミナル1階到着ロビーの前にある「551蓬莱飲茶CAFE」で夕食を食べ、肉まんも買った。あまり時間が無かったが、二階でお土産の買い物をした。そこで「赤福」を買い損ねてしまった。夕食を食べている間に、売り切れたのである。仕方なく、行っても居ないのに京都のお土産である。買い損ねた赤福は、脛木抜きに合わせ、宅急便で送って貰った。生もののため、今の季節だけで、夏は対応できないそうだ。
 
豚饅・焼売 聖護院の生八つ橋 伊勢名物「赤福」
季節の大根をほどよく拍子切りにし、柚子をしぼり、西利独自の手法で漬けこみました。食欲をさそう香りと、さわやかな歯ざわりが特長です。お酒のおつまみにも好評です。ぜひ冷やしてお召しあがりください。 選び抜かれた上質な長芋を桜の花で漬け上げました。心地よい歯ざわりと、粘りが特長で、ほのかに香る桜に春の訪れを感じる風味豊かな仕上がりです。お茶漬けに酒の肴にと、巾広くお楽しみいただけます。
 
 ▼伊丹空港 
 
18:30  各自夕食と買い物は、そんなに時間がある訳でも無く、あっという間に集合時間となった。手荷物検査を終え、1階の搭乗口へ。帰りも同じANAのボンバルディア機(DHC8-Q400)で、伊丹空港を離陸。大坂の夜景が素晴らしかった。
 
20:45  外は真っ暗で何も見えない。プロペラ機のため、揺れに揺れた。それをごまかすために、隣の人と話し込んでいた。秋田空港が近くなったから、何度か高度を変え旋回したようである。機内アナウンスは聞こえない。秋田空港に着陸。
 
21:45  少し遅れたが、降りてみて吃驚。雪がうっすらと凍り付いていた。風も強いし、良くこれで降りたものだ!! 同行の人を乗せて、ゆっくり進んで自宅着。
 
 ◇日吉大社でのお土産一覧
 ◇多賀大社でのお土産一覧
 
 
 *同じ3泊4日を2年前に体験して、京都と紀伊半島の違いはあるが、季節の違いも感じた。特に、千メートルの高野山では、零下で秋田とさほど変わりない。京都の金閣寺で32度も参ったものだが、琵琶湖で雪に降られるとは、思ってもみなかった。一同30名が無事で帰ってこられたのだから、これで良しとすべきだろう。
 
Ksymbol
 
 *この旅行の200枚に及ぶ写真の中から100枚を厳選して、デジブックのスライドショーを作成しました。これもまた良かったら、ご覧ください。
http://www.digibook.net/d/96c4e15f801ba89cb92deac5f54cc16a/?viewerMode=fullWindow
 
●万歩計  腹巻  携帯電話
 ・2014/03/03 7,987 8,029
 ・2014/03/04 6,963 7,259
 ・2014/03/05 10,996 8,823
 ・2014/03/06 11,572 11,048
合計 37,518 35,159
  *四日間、良くもまー歩いたものだ!! やっぱりお寺や神社が広かったからだろう。でも坂があったのは、彦根城ぐらいで、後は殆ど平だった。
 
 次は、●2014/02/15 酣々塾 雪の茅舎・飛良泉蔵巡り2014