秋田市新屋・日吉神社 鹿島祭2006
   
〜 上表町鹿島講中 参加記 〜
   
〜〜〜〜〜 秋田市新屋町の由来 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 
 新屋は秋田市(久保田城下)より南西に一里半(6キロ)に位置する。秋田大橋の開通(昭和9年、西暦1934年)、雄物川放水路の開通(昭和13年、1938年)以前、久保田から川尻を経て、舟で雄物川を渡り(柴の渡し)舟場町、表町を経て愛宕町の地蔵尊から右に入る坂を登り、中村から桂根に向かう浜街道(北国街道、酒田街道、秋田街道ともいう)沿いに発達した町である。
   
 天平5年(733)今の高清水の岡に秋田城が作られてから「あらや」と呼ばれる古代の「駅」に該当する。ともいわれる昔は、北陸沿岸から北上してくる浜街道と、雄物川の合流点に当たり、物資の交流に便利だったからであろう。
   
 地理的な条件から、秋田領と由利領の狭間にあたるため、領主の入れ替わりが激しい。平安末期のには由利氏の、その後赤尾津。安東、最上の家臣楯岡、さらに本多正純、また地元の土豪と思われる小野筑後守などが所領している。元和8年佐竹義宣公が由利領を知行替えし、暫く秋田領が確定する。明治から河辺郡に属し、昭和16年、秋田市に合併して現在に至る。
   
 主産業は、農・漁業であったが、交易地点であるため、製塩・鰯の日干し、それを運搬する舟運業・博労なども多かった。明治に入って醸造業を始め各種産業が盛んになった。昭和15年、国策による東北パルプが作られている。
   
 新屋ー本荘の間の飛砂の害は古くから伝えられているが、江戸後期(天明、寛政頃)以降、海岸の防備に当たった栗田定之丞が新屋の海岸に植林してから被害は少なくなった。町民は、この功績を慕って栗田神社を建立している。
 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 平成11年年祝い会 奉納 新屋町由来板より 〜〜〜〜〜〜
   
*画面をクリックすると、拡大されます。
 
新屋町由来板 新屋町絵図
日吉神社
 
●2006/06/11(日)
   
 ・全町内20の鹿島船が参加して、鹿島祭りが行われた。
   
 《参加町内》
  1.栗田養護学校 初入船 9:40
  2.駅前町
  3.南団地
  4.田尻沢町
  5.上表町(当町内) 10:24
  6.関町
  7.日の出町
  8.中表町
  9.十条団地
 10.南新町
 11.下表町
 12.北新町
 13.関町後
 14.笹町
 15.大川町
 16.緑町
 17.比内町
 18.愛宕町
 19.高美町
 20.沖田町  最終入船 12:24
   
 *各町内の区割りは、住所地番とは関係なく、昔の区割りに近い形で行われている。
   
〜〜〜〜〜 新屋鹿島祭の由来 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 
 新屋の鹿島祭りは、豊作を祈る鹿島信仰に由来し、古くは、さなぶりの時に行われていたが、やがて端午の節句に、近年は6月第2日曜に、全町挙げて子供の成長を祈る約400年来の伝統行事でもある。
   
 子供らの無病息災を託した鹿島人形を乗せた各町内の鹿島船は、笛や太鼓の囃子と共に、鹿島唄を口ずさむ子供と沿者の手に曳かれ日吉神社で祓えを修し、全町内を練り歩いたのち雄物川に流され、子供らは清く、明るく、逞しく、その心身を更新する。
   
 鹿島祭りは、神と人、親とこの心の絆を結ぶ、かけがいのない新屋町の文化的遺産である。秋田市政百周年にあたり、平成元年に「秋田市ふるさと名所百景」に認定されている。
 
〜〜〜〜〜 新屋鹿島祭の由来 終わり 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
   
新屋鹿島祭の由来
 
 今年は、私の住んでいる「上表町」が20年に一度の当番町にあたり、お祭り全体の運営も任されたため、いつもの年よりも早い準備開始となった。
   
   
●2006/05/28(日) 上表町鹿島講中 打ち合わせ 
   
 *町内会館が無いため、町内の空き地にテントを設営。そこで、大勢が集まって打ち合わせが行われた。大まかなスケジュールと、今年の人形のタイトルである。タイトルは、当番町のため去年から決まっていた。昔作っていたらしい「鯉の滝昇り」である。打ち合わせが終わった後は、折角集まったから懇親会である。これは神様の行事であるから、我々はこれを直会(なおらい)と呼んでいる。
   
●2006/05/29(月) 船組み立て
   
 *バラバラにしている舟の組み立てから始める。舟の大きさは、長さ12尺、巾6尺、高さは4尺位であるが、これを馬車の台車に乗せると、高さは最大で4.5mとなる。
   
●2006/05/31(水) 鯉の滝昇り背景/船乗せ台座作成
   
 *20年以上使ってきた馬車が、老朽化が激しく、新しい馬車に交換した。新しいと言っても40年も昔の馬車なので、古いことには変わりない。一回り小さい馬車となったため、そのまま舟を載せたのでは、タイヤに当たってしまう。そこで台座を作ることになった。幸いなことに、町内に本職の大工さんと、車の駕装屋さんが居たので、その二人が担当した。有り難いことである。
   
船乗せ台座作成 鯉の滝昇り背景
   
●2006/06/02(金) 鯉の滝昇り背景/船乗せ台座作成
   
 *鯉の滝昇りの背景は、高さ6尺くらいの大物なのだが、骨とコンパネだけであっと言う間に出来てしまった。鯉はまた簡単で、1.2m位の鯉のぼりが町内から見つかって、尾っぽに車のワイパーを仕掛けて詰めるだけ。まともに、竹や針金で作っていたら、もっと時間が掛かったろう。
   
●2006/06/03(土) 笹竹カット/船乗せ台座作成
   
 *事前に、町内の回覧・申し込みによって、参加の子供が32名と分かった。その半数が、外孫のようである。その子供に、1m位の笹竹と短冊用の色紙・お菓子引換券が配られた。
   
笹竹カット 船乗せ台座作成
太鼓枠 金具カット
   
●2006/06/04(日) 日中の作業により、鯉の滝昇り背景岩完成
   
 *勤め人の関係もあって、普段は夕方6時からの作業で、9時頃には終了して、それから後は直会としている。毎晩終わるのは、11時頃で12時の時もある。今日は日曜日だから、日中からの作業集中日。ビニールの袋に新聞紙を詰め、ペンキを塗った米袋で包んで、鯉の滝昇り背景の岩を完成させたようだ。
   
●2006/06/05(月) 鯉の滝昇り背景船乗せテスト
   
 *鯉の滝昇りの背景がほとんど完成したので、馬車の上に船を載せ、さらに鯉の滝昇り背景を乗せて、高さのテストをした。帆柱の高さが目安になるのだが、それよりも30cm以上高かった。道路交通法の4。5mより高いので、道路標識や電線を通過できない。そこで、鯉の滝昇り背景の下部を30cmカットすることにした。これが本番では、功を奏することになり、電線の引き上げだけで済んだのである。
   
●2006/06/07(水) 舵棒紅白巻き
   
 *馬車が新しくなって、舵棒のサイズが変わったため、新しく作った。すでに完成していて、紅白のさらし布を巻いて完成である。この日、担当メンバーの発表と、打ち合わせが行われた。
   
舵棒紅白巻き
   
●2006/06/09(金) 船にガツギを巻く
   
 *作業も大詰め。早朝、雄物川の河川敷に「ガヅギ」を取りに行ったようである。「ガヅギ」とは、正式にはマコモのことで、沼や川岸に生える稲科の大型多年草。それを夕方から、船の上部に巻いていくのである。これに、竹の短冊が刺されるのである。
   
 船にガツギを巻く
   
●2006/06/10(土) 神社本部設営/鯉の滝昇り完成
   
 *午後1時半から、日吉神社の本部設営である。まず、新屋支所から机とイスを運んで、大きい鳥居の近くにテントを組み立てる。机とイスを入れて完成。山車を乗り入れるためのスロープもセットした。町内のテントに戻ってみたら、すでに鯉の滝昇り背景が船に乗っていた。朝10時から乗せたようである。
 
テントの設営
神社境内も、鹿島祭りの雰囲気が出てきた
   
 *夕方6時から、肝心の鯉の滝昇りの仕掛けに取りかかる。鯉はワイパーのモーターを入れてすでに完成しているので、これを背景の真ん中でスライドさせた。両脇は岩に囲まれ、中心部はビニール紐が張られ、滝を表している。スライド範囲を大きくするため、船の上部をくり抜いてしまった。甲板の下から鯉が上がる仕掛けである。夜の10時頃までかかって完成した。
   
鯉の滝昇りの仕掛け
   
●2006/06/11(日) 鹿島祭り 当日
   
06:30  *早朝集合で、御幣・船首旗・榊・太鼓・舵棒・牽引ロープを付けて、鹿島船の準備を始める。朝着いたら殆ど出来ていた。すでに鹿島人形が、最上段に乗っていた。みんな交代で、朝食を取る。
   
早朝の準備万端
   
08:30  *一旦家に帰って朝飯を食べて、町内の袢纏に着替え戻ったら、山車は表通りに出ていた。鹿島人形がいっぱい並べられ、五色旗も多く刺されていて、鹿島祭りの雰囲気になってきた。
   
出発前、この緊張感がたまらない
   
09:00  *まずは、町内にお披露目のため、上表町内を一周することになった。表通りから北の方向に向かい、英雄酒造店を天竜寺の方向に右折する。旧7号線を横断するとき、ABSのテレビカメラを見つけた。ト一屋駐車場隣の小路に山車を入れたら、今度はAKTが現れた。見覚えのあるカメラマンとアナウンサーである。久しぶりの再会だ!! しばらくここで見せてから、新屋駅方向に向かい、駅正面の市営住宅の通りに戻って、また旧国道を横断していたら家族が見に来ていた。三角屋の角が狭くて心配したが、難なく通過した。建物が変わったからではないか? 予定通り、40分ほどで町内を一周して、子供はアイスクリームで休憩。大人は、缶ビール。
   
町内にお披露目
   
09:55  *あっと言う間に、神社に出発の時間である。表町の通りを15分ほど進んだら、神社前に着いた。当町内の8名ほどの警備班が担当していた。船の出し入れには、県道(旧国道7号線)を通行止めにしての誘導である。 
   
 神社周辺の警備班
   
10:10  *境内では、二つ前の南団地のお払いが行われていて、本部を訪問。当町内の長老と招待客が鎮座していた。ここで旧知の先輩と会った。私が決めた、秋田高校放送部OB会の会長である。娘さんがこちらに嫁いできているという。
 
 本部のテント
 
10:24  *次の田尻沢町が終わって、いよいよ上表町である。神主の祝詞が上がって、頭領の参拝にあわせ、子供たちや親も参拝する。御幣が配られ、船の先頭に差し込む。御神酒も、船に振りかけて清める。
   
いよいよ上表町 神主の祝詞
参拝
見物中のお客さんに仕掛けを見せることも忘れない
   
10:30  *来た道の表町通りを戻るが、次々と町内が並んでいて、鯉の滝昇りの仕掛けを見せながら進んでいく。日の出町とすれ違ったとき、あちらは子供が100人以上いるが、こちらは「子供すくな〜い」と言われてしまった。大人を入れても30人足らずだからである。大人も、見覚えのある人が多かった。
   
10:45  *15分ほどで町内に着いてしまう。ここで行列はお仕舞い。子供だけで、テントの前で鹿島舟を背景に、記念写真を撮る。脚立に上がって撮ったが、それでも顔が重なってしまう。警備班には悪いが、巡行班だけでも記念写真を撮る。カメラマンは読売新聞の記者にやらせてしまった。
   
お菓子の配布中 整列中
なかなか前を向いてくれない
さすが大人は一発で決まった
   
11:00  *解体開始。まずは流す人形や短冊を仮舟に入れる。後は、ゴミに捨てるのと倉庫に仕舞うのと分けて解体。その様子を、読売新聞に取材されてしまった。トラックで何度か倉庫に運んだ。
   
仮舟の中の人形達
   
13:15  *トラックが神社に行った後、本部班と警備班が、神社から帰ってきた。長い運行で疲れたようだ。アイスクリームか麦酒で、疲れをいやして貰う。
   
疲れを癒し中
   
13:45  *作業が落ち着いたところで、一旦解散。家に帰って、シャワーを浴びて、遅い昼飯を食べた。そして、ちょっと昼寝。
   
15:30  *20名ほどで、近くの料亭「友よし」  で直会(なおらい)を行う。神様の行事だからそう呼ぶが、業界で言う打ち上げである。中締めしてもまだ居たから、3-4時間も居たことになる。
   
直会(なおらい)
 
19:30  *2次会は、腹が減ったと言うことで、8名ほどで「まんしゅう屋」へ。餃子とラーメンをつまみに、麦酒を飲んでいた?
   
餃子とラーメンの「まんしゅう屋」
   
*上表町鹿島講中 写真集(参加者 限定)
 
*先月の「日吉神社鎮座1200年祭」から続いたお祭り行事は、ようやく終わった。長かったな〜〜
 
Ksymbol
 
 
 次は、●2006/05/25〜27 秋田市新屋、日吉神社鎮座1200年祭