*このメッセージは、当時のパソコン通信(BBS)の掲示板に掲載されたものです。
 
 *この年と、1989年の2回向かっています。
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 2度目のグァム・サイパンへの船旅 その1 − 元気で帰国
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 昨日、グァム・サイパンへの11日間の船旅から、元気で帰ってきた。
 
 私は,「第14回AKT少年の船」の技術スタッフとして,1995年1月4日(水)、2万2千トンの客船「おりえんとびーなす」で仙台新港を出港。小学校5年生から中学校2年生までの男女団員,483人の子供たちと行動を共にし,海水浴などで真っ黒に日焼けして、14日(土)に全員元気で帰ってきた。
 
 今回、お天気にはあまり恵まれていない。仙台からグァムに向かったその日から、海上は大荒れで、3日は続いて揺れが収まったのは、グァムに着く前の日の4日目だけ。グァムは湿気があり蒸し暑いので,汗が止まらない。一方、サイパンは30度と暑いが、湿気がなくサラッとしている。日差しが日本と違って強く、日焼け止めをしないと赤く腫れてしまう。私はグァムでは,あまり日光浴する暇がなかったので、サイパンのマニャガハ島で海水浴しながら半日甲羅干し。次の日の船上での飴食い競争でも、日に焼けたんで、私にしては結構焼けた方である。他の人は半日でなく一日いたんで、真っ黒くなっている。
 
            主  な  日  程
 
1/3(火) 先発隊として、本社でトラックに荷物を積んでから、
       マイクロバスで仙台に出発。
       仙台でまた荷卸。そのまま船に一泊。
 
1/4(水) 午前中、ほとんど前の日にやったんで、ゆったりと出発準備。
       午後、専用バスが仙台港到着。16時、出航。出港式。
 
1/5(木) 班づくり・船内見学・海難訓練(揺れがひどく簡単に)
       時差調整 21:00→22:00
 
1/6(金) 講話「南の島々の歴史と自然」
       英会話教室・硫黄島沖洋上慰霊祭。
       少年の船フェスティバル Part.1
        1.綱引き大会
        2.大声大会
 
1/7(土) ディスコダンス練習・学校訪問の練習
       少年の船フェスティバル Part.1
        3.集団なわとび
 
1/8(日) グァム島上陸。ショッピング&観光。ポリネシアンショー
 
1/9(月) 学校訪問、海水浴、キャンプファイヤー。
       20時、グァム島出航
 
1/10(火)サイパン上陸。観光・海水浴・天体観測。
 
1/11(水)ショッピング、11時サイパン出航。
 
1/12(木)少年の船フェスティバル Part.2
        1.飴食い競争
        2.日焼けコンテスト
       税関検査。
       少年の船フェスティバル Part.2(続き)
        3.仮装ディスコ大会
       時差調整 21:00→20:00
 
1/13(金)少年の船フェスティバル Part.32
        1.THE 船祭り
         解団式リハーサル
 
1/14(土)解団式、
      12:30 仙台港入港・下船
      13:30 バス出発
      20:00 秋田到着。
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 とにかく、グァム・サイパンへは船で片道丸3日かかるので船酔が心配だったが、仙台に帰る前の日は、太平洋上の日本近海は冬型の筋場の雲が出来て、大荒れ。ご飯は食べられないし、はきけはするし、1日中ダウンしてしまった。
 
 12日間は長かった,とかく揺れて陸が恋しくなるし,早く家に帰っておいしいご飯を食べたくなったものだ。
 
 船上でメッセージをほとんど書き上げておりますので、「グァム・サイパンへの船旅」シリーズとして、何回かに分けてUPしますので、ご期待ください。
 
                  とにかく疲れて昨日は早く寝てしまった
 
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 2度目のグァム・サイパンへの船旅 その2 − 第一日  晴
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▼1995/1/3(火) *先発隊としてバスで仙台に出発。
 
仙台新港
 9:45 かあちゃんの車で、会社に到着。機材のリストをコピーしたりして、出発準備をする。もうすでに、トラックが積み込みを開始していた。
 
10:30 明日、発つスタッフと社員に送られながら、マイクロバスで先発隊14人が、仙台に向けて出発。
 
11:30 西仙北でトイレタイムで、一服してコーヒーを買う。
 
13:00 帰省のユータンラッシュの中、東北自動車道の前沢で牛丼の昼食。
 
16:15 仙台市内の渋滞があって、少し遅れ気味で、仙台港に到着。今朝、積んだ荷物をさっそく降ろす。まずは秋田米20キロ入れが200袋。10日間のセミナーで使う文房具から、ゴミ袋まで入った段ボールを下ろす。そのほかテレビ撮影機材、PA機材、写真機材、医療班の機材、旅行代理店の荷物を下ろす。次から次へと下ろし船倉に広げるが、なかなか終わらない、ただ汗が出るだけだ。1時間半ぐらいかかって、ようやく10トンの荷下ろしが終わった。続いてすぐ、1階の船倉から3階の本部への荷揚げである。船の中のVTR編集室にも機材を準備する。
 
18:00 船内の食堂で、フルコースの夕食。ステーキがおいしかった。秋田では珍しい灘の酒「大関」が出てきた。燗が出来ないと言うから冷やで飲んだ。
 
20:00 本部で明日ので打ち合わせして、少し休憩。
 
21:00 6階の展望バーで、二次会。仙台市内の夜景が綺麗だった。ここでも灘の酒「大関」が出てきた。なぜか燗をしてくれた。でも、これ以降、燗は出来ず、毎日、冷や酒の始まりとなる。
 
23:00 部屋に帰って、持ち込みの日本酒「旬吟醸」で3次会。
 
25:00 このころ寝たらしい?
 
*今日の美酒
 ●秋田旬吟醸「秋田晴」純米大吟醸酒(720ml)
  ・秋田酒造(株)
  ・〒010-1631
  ・秋田市新屋元町23-28
  ・TEL 018-828-1311
  ・FAX 018-828-1318
 
 ・野に薫る花のような秋田酒のさまざまなたたずまいはまさに酒姿百花。美酒王国の伝統と新技術ー秋田流花酵母に磨き上げられた旬吟醸をおとどけします。冷蔵庫や氷でほどよく冷やしてご賞味ください。
 
 ・テーブルに秋田旬吟醸、美酒王国の技と、豊かな自然が育んだ、旬吟醸のルネッサンス、冷蔵庫でそのまま冷やして、グラスに氷を浮かべて、食を彩る酒姿百花、旬の料理と旬吟醸
 
 ・秋田流・花酵母(AK−1)で仕立てた秋田旬吟醸
  自然な手法による新酵母は天恵にも似た静かな瞬間の連続です。膨大な数の中から最も優良な酵母だけが選び抜かれました。香りを形づくり「ふくみ香」を豊かにする成分に恵まれているうえ、低温発酵性に優れた有機酸の成分が少ないため、味に膨らみがあり喉越しがソフトになるのが大きな特徴です。
 
 ・酒姿(しゅし)
  審美性に富む秋田旬吟醸の印象を3通りの花のありさまで現しました。ボトル背面ラベルでお知らせするほか、箱や表ラベルにはそれぞれに共通の花の色が施されています。
 
  ・さわくち ・すっきりした飲みくち
        ・切れのある味わい
        ・さわやかな香り
  ・やわくち ・かろやかな飲みくち
        ・繊細な味わい
        ・さわやかな香り
  ・まろくち ・ふくよかなのみくち
        ・しっとりした味わい
        ・まろやかな香り
 
 *久しぶりの旬吟醸で、おいしかった。
 
  ・アルコール度:15度以上16度未満
  ・原 材 料 :米、米麹
  ・原 料 米 :秋田産吟の精100%
  ・日本酒度  :+5.0
  ・酸   度 :1.3
  ・アミノ酸度 :0.9
  ・酵   母 :秋田流花酵母
  ・精米歩合  :45%
  ・酒   姿 :さわくち(他に「やわくち」・「まろくち」がある。)
  ・杜   氏 :長沢祐三
 
  *船に乗っていきなりこれで、ちょっともったいなかったが、結果的にはこれが一番美味しかった。
 
                     明日はいよいよ出港だ!!
 
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 2度目のグァム・サイパンへの船旅 その3 − 第2日  曇
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▼1995/1/4(水) *483人の団員が秋田を出発。
 
仙台新港出港
 7:00 起床。
 
 7:30 フルコースの朝食。
 
 8:00 先発隊の打ち合わせ。
 
 8:30 ACコード5本を制作。
 
 9:30 部屋に帰って、荷物の整理と、パソコンへ書き込み。
 
11:00 午後から使う、出港式の準備。PAの調子は快調である。
 
12:00 フルコースの昼食。
 
13:00 しばし休憩。以前の先発隊は、仙台のホテルに泊まってから、当日船に乗り込んだ。それが前日からだから、時間的に余裕がある。
 
14:30 子供達が乗った本隊のバスが到着。AKT少年の船の歌が流れる中、さっそく乗船。
 
15:00 岸壁に代表が集まり、出港式を行う。
 
15:30 予定より30分早めて出航。みんな甲板に出て、見送りの人に手を振る。
 
16:30 4階にあるビーナスホールで開校式を行う。
 
17:30 子供達は初めての対面と言うことで、班別に自己紹介などのミーティングを行う。このころからもうすでにゆれが激しくなって、船酔いする子も。
 
19:00 夕食だが、船酔いしてるせいか、子供の集まりが悪い。全部終わるのに9時頃までかかってしまった。ここで私は食堂でいきなりゲロを吐いてしまった。恥ずかしかったが、がんばってお粥を食べた。
 
22:00 船員さんの主催による、全スタッフ顔合わせパーティが開かれた。あまり料理は食べなかったが、日本酒だけは飲んだ。
 
23:30 パーティは終わって、部屋でも軽く飲んだ。
 
24:30 就寝。
 
 *ここで今回の船「ORIENT VENUS」を紹介しょう。
 ・所  属 日本クルーズ客船(株)
 ・竣  工 1990年7月
 ・総トン数 約22,000トン
 ・軽貨重量 約 3,000トン
 ・全  長 175m
 ・  幅   24m
 ・吃  水 6.5m
 ・甲板数  8層
 ・資  格 JG NK 国際遠洋
 ・主  機 Diesl United
       12PC2−6V(9,270PS)2基
 ・左右移動装置(スタンスラスター) バウ 15t*1,200PS
 ・プロペラ 可変ピッチ4翼
 ・横揺れ防止装置(フィン・スタビライザー) 1対
 ・造水器  150t/day
 ・航海速力 21ノット
 ・航続距離 7,000マイル
 ・電  流 A/C 100V 60Hz
 ・全室冷暖房完備
 ・船舶電話  海事衛星通信装置(電話・FAX)
 
 ■旅客定員
 ・スイートルーム     2名*  2室  計  4名
 ・デラックスルーム    2名* 10室  計 20名
 ・ステートルーム     2名* 75室  計150名
 ・スタンダードルーム 2+2名*108室  計432名
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  旅客合計                  606名
  乗組員計                  120名
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  総計                    726名
 
 私の泊まった部屋は、2階のスタンダードルームで、2段ベッドの4人部屋に3人いた。空いた上のベッドは荷物置き場にしていた。丸窓にテレビがあり、トイレとシャワーが同じ部屋。ロッカーと荷物引き出しがある。クラスが上になるほど、階が上になり揺れも激しい。
 
2階のスタンダードルーム
                    初日から、船酔いとの戦いが始まった。
 
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 2度目のグァム・サイパンへの船旅 その4 − 第3日  曇
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▼1995/1/5(木) *海難訓練・船内見学
 
海難訓練
 6:30 起床。
 
 7:00 天候が悪いため、スポーツデッキでの朝の集いはやめて、室内のビーナスホールで行われた。
 
 7:30 朝食。私はお粥にした。
 
 9:00 子供達は班の活動をしていた。我々は船酔いもあって、部屋でしばらく休んでいた。
 
12:00 昼食。またも、食堂に行かずに本部でお粥。がっこをいれて食べたらおいしかった。
 
14:00 海難訓練は、揺れが激しく、甲板ではできなくて、室内のホールで簡単な説明だけでやった。
 
14:30 明日以降使用する用品の準備をする。そのあとしばし休憩。
 
17:30 夕食。腹が減って、お粥を2杯食べた。
 
20:00 ビールを飲んだら、空きっ腹と船の揺れのせいか、とたんに熱くなって効いてきて、部屋に帰って寝ていた。
 
21:00 9時を10時に替える、時差調整。1時間損をしたことになる。
 
23:00 同室の連中が、宴会から帰ってきて、またウイスキーを飲み始める。
 
24:30 就寝。寝ている間も激しく揺れていた。
 
                    結局、1日半揺れていたことになる。
 
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 2度目のグァム・サイパンへの船旅 その5 − 第4日  曇
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▼1995/1/6(金) *綱引き大会・大声大会
 
大声大会
 6:30 起床。昨日は明るかったのに、今日は暗い。よく考えたら、時差の関係で1時間早くなっているからである。
 
 7:00 波も収まってきて、スポーツデッキで、初めて朝の集いを行った。
 
 8:00 塩鮭・青菜の胡麻よごし・焼き海苔・ご飯・フルーツヨーグルト・佃煮・生卵・味噌汁・がっこなどの豪華な朝食である。よくある和定食で、初めて全部食べた。
 
 9:00 子供達は、ホールで天気図・南の島々の歴史と自然について、講話を聞いた。
 
10:00 英会話教室や、午後からの大会の班活動をしていた。
 
10:30 午後からの大声大会の機材の準備を始める。揺れは収まってきているが、風が12メートルと強い。潮風の中の準備で、気持ちが悪い。
 
12:00 昼食。蟹入りそぼろご飯・海老シュウマイ・味噌にゅう麺・がっこ・スイカの和食で、初めてお粥でなくご飯を食べた。
 
13:30 硫黄島慰霊祭の準備を始める。昨夜来の激しい西風で、島の東側にコースが流されてしまったらしい。従って、例のすり鉢山は見えなかったが、供物をあげ、黙祷をする。
 
14:30 大声大会を始める。一組20人ぐらいの班が、なにかにあわせ大声で叫ぶ、20組次から次ぎへと挑戦した。
 
15:30 大声大会が終了して、機材を引き上げて、休憩。このあと綱引き大会も行われていた。
 
16:30 今まではシャワーだったが、頭を洗うには狭いので、1階の大風呂に入ることにした。広い浴槽で、揺れもそんなにないし、いい風呂だった。今までの疲れがどっととれた感じ。部屋でドライヤーをかけ、ビールを一杯飲む、それから夕食だ!!
 
18:30 フルーツサラダ・コーンクリームスープ・和風ハンバーグ温野菜添え・チョコレートアイスクリーム・ライスの夕食。今日は毎食腹一杯食べた。こんなに食べると太るのが心配。
 
20:00 本部で、みんな集まってまた飲み始めてしまった。外では子供達が、波が収まって、初めての夜とあって、うるさい。
 
21:00 消灯。30分後、見回りのシーンをカメラで取材したが、まだ寝ていない子が多かった。
 
22:00 バイトのスタッフの子が、誕生日ということで、誕生会を開いた。ところが、昨日までは船酔いで働いていなかった子である。大学生で、帰国した次の日が成人式という。
 
24:00 部屋に帰ってもまた飲み方をやってしまった。両関の「米のしずく」を飲んだ。
 
 ●両関「米のしずく」 720ml
  ・両関酒造(株)
  ・〒012-0813
  ・湯沢市前森4-3-18
  ・TEL:0183-73-3143
  ・FAX:0183-72-2515
 
26時頃就寝。
 
               今日も揺れていたが、子供達は良くこなしていた。
              酒を飲んで酔っぱらうと揺れが感じないことも判った。
 
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 2度目のグァム・サイパンへの船旅 その6 − 第5日  曇
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▼1995/1/7(土) *学校訪問とディスコダンスの練習・船内オリエンテーリング・集団縄跳び
 
 6:30 目覚ましがなったが、昨日の夜更かしで起きれず。
 
 7:00 朝の集いもパス。グァムが近くなって、さすがに天気は良くなっってきたが、カーとした晴には成らない。
 
 8:30 カップ焼き卵・ハッシュブラウンポテト・スモールサラダ・フルーツ・ホームメイドパン・グリルドハム・パックジュースの洋朝食。パンを食べずに、お粥とサラダで、朝食とした。
 
 9:30 ホールで学校訪問時の秋田節の踊りや、竿灯の練習をしていた。ダイニングルームでは、ディスコダンスの練習をしていた。
 
12:00 朝の集いの行っているスポーツデッキと、その上のプールデッキに分かれて、デッキランチが始まった。暑い中、麦茶をすすりながら、焼きそばや稲荷鮨・冷やし中華・サラダなどを食べた。欲張って食べたら、腹一杯になってしまった。
デッキランチ
 *全メニュー
  ・コールミートとフルーツマカロニサラダ
  ・シーフードのメランジェサラダ
  ・照り焼きチキン
  ・ミックスピザ
  ・焼き鳥
  ・たこ焼き
  ・焼きそば
  ・スパゲティ・ベスカトーレ
  ・助六寿司
  ・シーフードピラフ
  ・アメリカンドックと骨付きフランクフルト
  ・杏仁豆腐
  ・冷麺
  ・サラダバー
  ・フルーツバー
  ・カップアイスクリーム
  ・各種ドリンク
 
 *これは出港前のメニューで、無かったモノがあったような? こんなに毎食、腹一杯食べて、帰ってきてみたら出かける前と同じ? 船酔いの絶食もあったから、チャラになったのかな?
 
13:00 ビーナスホールで船内オリエンテーリングが始まった。一班づつの単位で、船内14カ所を探検し、問題を解いてから、ホールに帰ってくる。一周30分ぐらいのオリエンテーリングである。
 
15:00 今度は、スポーツデッキで集団縄跳び大会が始まった。3分以内で連続何回行くかの班別競争である。練習無しの性か、ほとんどが0回から1回一回出来たと喜んでいるチームもあるくらい。。優秀なのは8回7回とあった。4時には終わって休憩。
 
集団縄跳び大会
18:30 鮪山かけ・すき焼き風煮込み・海老フライ生野菜添え・北欧サラダ・ご飯・がっこ・中華クッキーの和食の夕食。今回もすっかり食べた。
 
19:30 明日の下船の準備。
 
20:00 まずはお疲れさんと言うことで、みんなでいっぱい。
 
 ●紙パック「高清水」 1.8l
  ・秋田酒類製造(株)
  ・〒010-0934
  ・秋田市川元むつみ町4-12
  ・TEL 0188-64-7331
  ・FAX:0188-63-9379
 
 *これは年中、私がいちばん愛用している物。数ある持ち込んだ中で、なぜかこれが一番美味しかった。冷やしてもいけるんだ!!
 
22:30 昨日は遅かったし、今日は早く寝ようと言うことで、同室の3人は寝てしまった。ところが2時半頃、みんなトイレタイムで起きてしまった。そのあとなかなか寝付けない。明日朝早いことが気になって。
 
                   明日は、いよいよグァム上陸だ!!
                  と言っても、ショッピングと観光だけだから
                  まだ気が楽だ。明後日は大変、キャンプファ
                  イヤーがあるから...
 
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 2度目のグァム・サイパンへの船旅 その7 − 第6日  晴
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▼1995/1/8(日) *グァム島上陸・ショッピング・観光
 
グァム島に下船
 5:45 起床。身の回り品の準備をしているうちに、グァム島に入港していた。
 
 6:10 ホールでスタッフが先に入国審査。
 
 7:00 出し巻き卵・佃煮・焼き明太子・ポテトと生野菜のサラダ・ごぼう天煮・焼き海苔・カップ納豆・味噌汁・ご飯・がっこ・フルーツゼリーの和食の朝食。ほとんど納豆ご飯。
 
 8:00 機材を持って、誰よりも早く下船。今日の私の仕事は、VTR機材を持って人工衛星会社に行って、仙台出航からグァムのショッピングまでの画像を送ること。その車の確認のため早く降りた。
 
 8:15 団旗と国旗ををもって団員が降りてきた。いよいよ、グァム島上陸である。みんなのバスとは別だての、ワゴン車でデューティフリーにショッピングのため向かう。先に行って、ここでバスが入ってくるのを撮影するためである。
 
 8:35 バスが着いて、買い物開始。はじめの30分ぐらいは、撮影のお手伝いをしながら、めぼしいものの確認をしていた。撮影が終了して、いよいよ買い物開始。予定の物の内、軽い物から買い始め、2時間ぐらい歩き詰めで買って、11時頃になったら、もうよくなってきた。
 
 *買い物
  ・ビーフジャーキー       6個 一箱
  ・ハーフチョコレート      6個
  ・高級?香水          1個
  ・オールドパーウイスキー    3本
  ・サングラス          1個
  ・バスケットボールリーグの帽子 1個
  ・革の財布           1個
  ・ブレスレット         1個
  >ガムとソフトペンがなかった。
 
12:00 ワゴン車で、パレスホテルに向かいそこで昼食。午前中、観光していた班も合流した。仮設ステージにバンドをスタンバイしていたイベントホールに、500人あまりが昼食。ホットドッグにパン・ご飯で、オレンジジュースに海老フライなど。あまりおいしくなくて、子供達は残していた。
 
13:30 もう1台チャーターした乗用車に機材を積み替えて、通訳兼ドライバーと、アースステイションに向かった。東の方向で小高い丘の上、アップガン砦の奥の方である。道はだんだん細くなり、田舎道に入る。すると道の真ん中に、こんもりと盛り上がっているところがある。ドライバーに聞いたら、スピードを落とさせるために、わざとそうしてあると... 最後は車1台だけ通れる、鶏が遊んでいる道である。
 
14:10 日曜日とあって、ゲートがあって旋錠されていたが、中から人が出てきてあけてくれた。機材のつなぎ込みも順調に進んで、2時半にはスタンバイアップ。暇で回りを見渡したら、DELにIBMにコンパックとコンピュータだらけ。通訳無しで会話が続いた。専門用語だから、何を喋っているか大体分かるもんだ。逆に通訳が分からない逆転現象?
 
アースステイションの機材
15:00 本番のVTR送り。昨日までの映像を5分間。そして今日の買い物風景を20分間、送った。
 
15:30 VTR送り終了。跡片づけして、お礼を言って、そのまま真っ直ぐ船に帰った。
 
16:00 帰船。
 
17:30 コンソメスープ=バーミセリ入り・ミックスグリル=バターライス添え・サラダセゾン・ブティケーキ・ホームメイドパン・パックコーヒー牛乳の洋食の夕食。またも、腹一杯になった。
 
19:20 スポーツデッキでポリネシアンショー。地元チャモロ族の踊りと唄で楽しんだ。最後には団員も登場して、ダンサーとダンスを踊った。
 
20:00 この船のハイライト、キャンプファイヤーが明日だ。その機材の準備。
 
                  明日、キャンプファイヤーの準備の最中。
                 抜けて、今日行ったアースセンタに行かな
                 くては成らない。
 
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 2度目のグァム・サイパンへの船旅 その8 − 第7日  晴
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▼1995/1/9(月) *グァム島2日目、学校訪問・海水浴・現地児童との交流会。
 
イパオビーチで海水浴 キャンプファイヤー
 6:30 起床。
 
 7:45 ししゃもの火取り・白菜の煮ひたし・マカロニサラダ・味噌汁・がっこ・佃煮・温度卵・焼き海苔・御飯・スイカの和定食の朝食。子供達が、ししゃもを開いて食べているのには、びっくりした。おじさんがこうやって食べるんだよと、頭からかじったら、変な顔をして見ていた。
 
 8:15 子供達は、小学校・中学校に分かれて、バスで出発。現地の学校の子供達との交流を行った。
 
10:00 イパオパーク広場への先発隊として、機材を積んだバスで出発。グァムの大通りは上り下り2車線だが、真ん中に黄色い線で囲まれた車線がある。ドライバーによると、これは左折用の車線で、日本で言うと右折になる。ここに上り下りどちらからでも入って、反対車線が空くのを待つ。これだと2車線がスムースに流れる。なかなか良い考えだ。しかし、ドライバーによると、グァムの人はわがままで、上り下り両方から同時に入ってきて、よく事故に成るという。そういえば、何件か事故が必ずある。
 
10:30 イパオビーチに到着。さっそく、スタンバイ開始。
 
12:30 子供達も帰ってきて、昼食。サンドイッチの弁当で、美味しかった。
 
13:45 海水浴開始。一気に500人近くが入ったら、大騒ぎ。アメリカ人の監視人が、唖然としてみていた。その後、厳しい監視が続いた。
 
14:10 昨日の午後の観光から、ポリネシアンショーと、始まったばかりの海水浴のシーンをいれたVTRをもって、アースステーションに向かった。
 
14:40 時間がぎりぎりで、かなりスピードを上げて、アースステイションに着いた。持ち込みの機材は、昨日やっているので、すぐスタンバイができた。
 
アースステイション
15:00 5分前から、何やら技術者があわてだした。秋田に電話してみたら、まだ来ていないという。本番の時間になっても、回線が秋田までつながらない。技術者同士の感で、ここが原因のようである。初めはセンターからの指示で、あっちこっち調べていたが、どうにも判らなくなって、昨日の技術者宅に電話したようである。ようやく、12分になってつながった。原因はビデオジャック盤のパッチングミスだった。何にも知らない技術者のようである。
 
15:45 秋田からの15分間の回線延長で、事なきをえて終了した。帰りは近道のゴルフ場のプライベート道路を通り、イパオパークに戻った。米国の場合、プライベート道路を通るのは、可成りの危険がある。それは監視人がいて、見つかると大変なことになる。我々は、帽子をかぶってゴルフ場帰りのふりをしてきた??
 
16:10 イパオパークに着いたら、現地児童交流会が始まっていた。さっそく、居ない間作業してくれた人と交代をして、こちらの作業を続行する。
 
16:30 チャモロ料理で夕食。毎回ことだが、おいしくない。
 
18:00 まだ明るいが、キャンプファイヤーの開始。始めているうちにだんだん暗くなってきた。
 
キャンプファイヤー
18:30 もう使わない物を中心に、すでにバスに積み込んでいたが、キャンプファイヤー終了とともに、全員で撤収に入る。8時には船が出るからである。
 
19:00 全員の協力で、30分という異例の早さでバスが出発できた。
 
19:30 船にバスが到着。子供達がまだ乗船中である。どんどんバスから荷物を降ろして、船に積む。15分足らずで終了して、積み替え完了。
 
19:50 暗くなったグァム島をあとに、出港。このあと、出港に間にあっったと言うことで、ビールで乾杯。
 
                  明日は、サイパンで観光と海水浴だ!!
 
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 2度目のグァム・サイパンへの船旅 その9 − 第8日  晴
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▼1995/1/10(火) *サイパン観光・海水浴・天体観測
 
サイパン熱帯植物園 マゼラン湾
 6:00 起床。サイパン入港。
 
 6:30 紅白蒲鉾・青菜おひたし・焼き海苔・御飯・パックフルーツ牛乳・塩鯖の火取り・ひじき含め煮・味噌汁・がっこの和定食で、少しづつの、ほとんど懐石料理風の朝食。
 
 8:00 サイパン島上陸。半分はフェリーでマニャガハ島に向かって海水浴をする。もう半分はバスで島内の観光に向かう。私もこのコースだ。バンザイクリフの慰霊祭では、スコールに遭遇して、土砂降り。そのあと、ラストコマンドポストに向かう。
 
 9:30 最後に島の東側にあるサイパン熱帯植物園に向かう。前回来た7年前にはなかったはずだが、ココヤシ・マンゴ・ジャックフルーツ・パパイヤ・アセロラなどの果実に、東洋桜・ヘラコニア・ブーゲンビリア・レッドジンジャー・イランイラン・ブルメリア・オーキドなどの花が咲いていた。椰子のジュースを初めて飲んだ。子供達はまずいを連発していたが、私は淡泊な味でまずくはなかった。フルーツバイキングでは、バナナ・スイカ・メロン・洋梨などがあった。この後直ぐ昼食なので、我慢が肝心。階段を上がった展望台では、サイパンの東側であるマゼラン湾が見下ろせた。
 
11:00 約1時間半の見学を終え、珊瑚礁の内海にあるマニャガハ島に渡るため、港に向かう。
 
11:30 港から100人乗りぐらいのフェリーで、マニャガハ島に向かう。途中、海の色がコバルトブルーから青緑色に変わっていく。すばらしい景色だ!!
 
11:50 マニャガハ島着。別班の海水浴組と合流。
 
12:30 カレーライスで昼食。何と日本の味そのものだ!! それもそのはず、観光客の90%が日本人で、従業員もそうだからである。だから、外国に来た気がしない。
 
14:00 準備運動も兼ね、小さい島を一周させてから、子供達の海水浴開始。私も監視も兼ねて泳いでみた。海の色が驚くほど無色透明で、まるで湧き水みたい。上から熱帯魚が泳いでいるのが見えるくらいである。眼鏡を付けて潜るとまるで水族館!! 2回目は、ボートをチャーターして、海上から海水浴を撮影することにした。撮影はあっと言う間に終わって、せっかくだから島を一周することにした。オーストラリア人のドライバー?は、綿引きアナの悲鳴に喜んでいると勘違いしてか、ますますスピードを上げる。3回目は、甲羅干しで日に焼けることに専念。
 
16:00 マニャガハ島を引き上げる。途中、海底に沈んでいる零戦をみた。太平洋戦争の激戦地で、この辺は残骸がいっぱいある。そこに最近は日本人がいっぱい来ることに、不思議な巡り合わせを感じる。
 
16:30 帰船。さっそく船内の大浴場に入って、シャワーで塩を落とす。
 
18:15 遅い班で夕食。鰹の土佐造り・・大海老のテルミドール・豚肉の生生姜焼き生野菜添え・茶碗蒸し・吸物・御飯・がっこ・フルーツ。今夜も和食のフルコース。でも確かビーフカレーがあったような? メニューは予定稿なのである。
 
19:00 スポーツデッキで、寝ながら船員さんによる天体観測をして、そのままいい気持ちになって寝てしまう。
 
20:00 連日の疲れがたまって、部屋に帰って、またまた、寝てしまう。
 
21:00 仲間が帰ってきて起こされ、さらに宴会。
 
22:30 他のところでもやっていて誘われたが、明日も早いし、断って寝ることにする。
 
 *サイパンの植物園に向かっている最中。報道のカメラマン石川君に、アースセンターはこの辺ですか? と聞かれた。それはグァム島の話で、ここには無いと応えた。一同、大爆笑。どうしたんでしょうこの人は??
 
                    明日はサイパンで、ショッピング・
                   砂糖王公園を散策。
 
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 2度目のグァム・サイパンへの船旅 その10 − 第9日  晴
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▼1995/1/11(水) *サイパンでショッピング・砂糖王公園を散策。
 
 5:30 今日は、サイパンで買い物のため、早く起床。
 
 6:00 早い班で朝食。太刀魚の火取り・シラス干し大根・高野豆腐の含め煮・佃煮・生卵・ふりかけ・味噌汁・御飯・がっこ・パックコーヒー牛乳と和食。納豆・サラダも頂いた。
 
 7:15 下船して、取材車でデューティーフリーで買い物。グァム島でほとんど買っているため、1時間ほどで終わってしまう。あとはクーラーの効いた取材車で、運ちゃんと会話しながら休んでいた。熊本の会社から5年前、転勤できているという。そのころの話を聞いたら、私が来た7年前とそんなに変わっていなかった。それが、ここ数年の間に急に変わってしまった。日本の資本が入って、ホテルがたくさん建ったからである。日本人観光客は9割以上で、サイパンらしさが無くなっていた。砂糖王公園に向かったが、その前の道は4車線の立派な道路になっていた。それを横断して旧日本病院に行ってみたら、スプレーの落書きだらけで、ひどい廃虚となっていた。
 
旧日本病院
10:30 帰船。
 
11:00 サイパン出港。あとは一路、日本に向かうだけである。
 
12:30 昨日の日本カレー?とは打って変わって、ビーフカレーの昼食。
 
13:30 しばし、この打ち込みをしていたら、揺れが激しくなってきて気持ち悪くなってきた。疲れもあるしということで、しばらく寝ていた。
 
15:30 起き出しておみやげの整理を始めた。使ったドルは予定よりも少なくて、まだドルが残っていた。
 
おみやげ
18:00 スモークサーモンのマリネ・パンプキンスープ・グリルチキン照り焼き風温野菜添え・プティガトー、フルーツ・ライス・ジュースで珍しく洋食の夕食。
 
21:10 セミナーの先生と船の幹部を交えての、AKT・旅行代理店主催で「サイパン出港記念パーティ」を開いた。この船に乗っている間に、日本酒ばかり飲んでいたら、ビールを受け付けない体になっていた。船の方で用意したんだろうか、やや淡泊な新潟の酒が出てきた。11時頃終了したが、我々は10時頃出てきて、部屋でまた飲んでいた。矢島の酒「天寿」をいただく。
 
 ●新潟の酒「越の関?」
  *この船「オリエントビーナス」が、新潟港に寄った時に仕入れたものだろう? 常温で飲んだらまずかった。冷やしたら美味しかったろう。
 
 ●天寿「あきたこまち?」 720ml
  ・製造元:天寿酒造(株)
  ・〒015-0411
  ・由利郡矢島町城内字八森下117
  ・TEL 0184-55-3165
  ・FAX 0184-55-3167
 
 *貰ったときに、小売り水で冷やしていたんで、ラベルがはがれて何だか判らなかった。飲んでみて判った。定番の多分これでしょう?
 
                    あと、3日で秋田に帰れる。
                   この船旅も、大詰めである。
 
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 2度目のグァム・サイパンへの船旅 その11 − 第10日  晴
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▼1995/1/12(木) *フェスティバルpert2
 
ディスコ大会
 6:30 起床。
 
 7:00 まだ2度目の朝の集い。
 
 7:30 珍しく、パンの朝食。オムレツ−ポルトガル風・グリルドベーコン・温野菜・スモールサラダ・フルーツカクテル・ホームメイドパン・パックジュースの洋食。
 
 9:20 フェスティバルpert2。今日は天気も良いので、スポーツデッキで、飴食い競争が始まった。ひなたぼっこをしながら仕事をしていたら、また日に焼けてしまった。
 
10:40 今度はビーナスホールで、日焼けコンテスト。今年は天候不順のせいか、あまり日焼けしていない。優勝した人は地黒の少年だった。一同唖然。
 
12:30 そばと味付けご飯の昼食。鶏釜飯・たぬきそば・小芋のそぼろあん・がっこ・スイカ。ご飯はもちろんスポンサー提供の秋田こまち。
 
14:00 税関検査。なかなか来ないので、待ってる間にたまったメッセージを書いた。このときに手書きのファクスで、AKT経由でCIAにメッセージを書いていたのである。高い物はないとのことで、パス。大体、服装・装飾品・持ち物で分かるそうだ。我々は金持ちには見えないらしい。
 
 *これがその時のメッセージです。
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-NUM- -R.DATE- -R.TIME- -SENDER- -CONTENTS-
00330 95-01-13 23:00:15 CIA004  FROM SYSOP
 
 皆さん お久しぶりのあけましておめでとうございます。
 しばらく顔を出さないうちに新しい人も増えたようで・・なによりです。
 
 さて、うちの親分KSYMBOL氏が船に乗って高飛び(ン?飛ばないか)して9日になります。さすがSYSOP、あの揺れる船内にパワーブックを持ち込んで酒浸り(普段と一緒)と船酔との格闘の生活の中、せっせとメッセージを打ち込んでいらっしゃるみたいである。そろそろホストのほうが心配になってきたみたいで、何とか船舶電話でリモートメンテナンスを試みたみたいであるが、どうもうまく行かないらしい。そこで私にFAXが届き、以下のようなメッセージを預かりました。
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  秋田から南へ2000qの太平洋上より・・・
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 1月4日に仙台を出港してから9日目。
 
 1月11日現在、サイパンより800q北の太平洋上におります。グァム・サイパンの研修・観光を無事終えて秋田に向かっております。
 
 秋田の子供達はグァムでは観光・ショッピングポリネシアンショー・学校訪問・海水浴・キャンプファイヤーと精力的にこなしました。2日間の滞在でした。サイパンでは観光・慰霊祭・植物園・海水浴・天体観測・ショッピングと、1日半滞在しました。特にマニャガハ島での海水浴ではまっ黒に日焼けした私ですが、皆さんにご覧いただけないのが残念です。1月14日秋田に着きますが、元気で船上活動をしておりますのでご心配なく(誰も心配してないか・・・・)
 
 船上でメッセージを書き上げておりますので、帰れば山のようなメッセージが流れ
ると思いますのでご期待下さい。
 
                 1/12 サイパンTIME 14:00
                今、税関検査を無事通過し、軽く船酔中の
 
                  CIA_SYSOP=KSYMBOL
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  以上、SYSOPからのメッセージでした。
 
  非常に元気そうですね。
  たぶん今頃オールドパーで歯磨きでもしていることでしょう・・・
 
   代筆 By SPEAK LARK
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15:30 ビーナスホールで仮装ディスコ大会が始まる。一番派手なのがセミナーの先生達である。
 
17:00 ディスコ大会が終わって時間があったので、日本酒を一杯あおりながら、明日の余興の横文字ジャズボーカルの練習をしていた。同室の連中を、夕陽の取材に追い出しての事である。水平線の彼方に太陽が沈む、すばらしい夕陽だった。
 
すばらしい夕陽
18:00 鳥肉のフライトご飯の和食で、餅菓子も付いていた。蟹とキュウリのマヨネーズ和え・一口豚カツ生野菜添え・マーボ豆腐・えのきと飛びっ子和え・吸物・御飯・がっこ・和菓子。なぜこんなに詳しくメニューを判るのかは、毎日メモをしていたからではなくて、後に全メニューを入手したからである。
 
19:00 このメッセージの整理。
 
21:00 時差調整。21:00を20:00に1時間戻す。1時間得したんで、今夜も日本酒で乾杯。
 
                  この日の海は朝から凪ぎ状態で、
                 夕陽が印象的でしたが、明日大荒れになる
                 とは想像もできなかった。
 
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 2度目のグァム・サイパンへの船旅 その12 − 第11日  曇
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▼1995/1/13(金) *フェスティバル pert3
 
揺れが激しくなってきた レストランで豪華和食
 6:30 起床。朝から揺れがだんだん激しくなってきた。
 
 7:00 朝の集いは、初めスポーツデッキでやるつもりでいたが、風が強くて危険なため、室内のビーナスホールでやることにした。
 
 7:30 開き鯵の火取り・きんぴらごぼう・スパゲティサラダ・佃煮・ゆで卵(生卵と思って割ってしまった)・カップ納豆・焼き海苔・味噌汁・御飯・がっこ(標準語では、香物とも言う)・みかん・パック牛乳の相変わらず豪華和食のフルコース。少し揺れていたが、すっかり食べた。
 
 9:30 午後からの「THE船まつり」に備えた、それぞれの班活動で練習。船は行きよりの激しい揺れで、この時間、私は船酔いでほとんど寝ていた。
 
12:00 私は昼食の時間だったが、船酔いが激しく、パス。何も食べない。後から聞いたら、ストロガノフの洋食だったという。
 
14:00 激しい揺れの中、ビーナスホールでフェスティバル pert3「THE 船まつり」が始まった。私は5階でマイクの調整を担当。船酔いで準備不足のせいか、今一、子供達は元気がない。このあと明日の解団式のリハーサルと誕生会を行う。
 
5階でマイクの調整
18:00 夕食。これも具合が悪くて、牛乳を飲んだだけ。
 
21:10 揺れが激しいためダンスフロアーは止めて、レストランで、全スタッフお別れパーティーを開いた。私はまだ酔いが激しく、ようやくの思いで向かったが、ゲロの直後で、腹に何も入っていかない。30分ほどで帰ってきて、部屋で寝てしまった。
 
                    この長かった航海も、いよいよ、明日で
                   終わりだ!!
 
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 2度目のグァム・サイパンへの船旅 その13 − 最終日  雪
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▼1995/1/14(金) *仙台港入港・秋田に到着
 
仙台港入港
 7:00 いつもの癖で早く起床。朝3時頃から揺れが収まって、楽に起きれた。
 
 8:00 昨日、風呂に入っていなかったんで、シャワーを浴びる。
 
 8:30 洋定食だったらしいが、昨日の絶食でレストランには行かずに、3階の本部で牛乳1杯とお粥を2杯。それにユンケルを1本。
 
 9:30 解団式の準備で4階のビーナスホールに向かう。
 
10:00 解団式が始まる。スタッフに対する団員のレイサービスでは、感激の場面が見られたが、それ以上に、退場のアーチでは感激が続いた。私は5階にいたため難?を免れたが、8回の航海では泣かされてしまった。
 
11:30 仙台港が直ぐ目の前で、ちらし寿司とあったかそうめん・がっこ・フルーツみつ豆で昼食。
 
12:30 予定より1時間早く、仙台港に接岸して、みんなで10トンの荷物をトラックに積む。
 
13:00 白雪舞う中、下船開始。本社や仙台支社の社員に向かえられて...
 
仙台港下船
13:30 バスに乗車完了して、予定より30分早く出発。 途中、長者原・紫波SAで休憩しながら、36号線に入ったら、渋滞しだした。スキー帰り渋滞である。それが田沢湖・角館に行ったらさらにひどくなり、協和のドライブインに着いたときには、10分ぐらい遅れていた
 
19:00 仙台から持たされた無線機が通じない。どうもバッテリーがないようだ。電話で本社に連絡する。そしたら、牛島の跨線橋で事故があり渋滞しているとの情報。横山金足線経由を覚悟して向かった。結局、途中で無線が入り渋滞解消で、予定通りのコースで...
 
19:50 無線機は短い会話だと通じるようだ。仁井田あたりから、交差点のたびに、現在地を無線機で連絡しながら、八橋ラグビー場前に予定より20分遅れで7台のバスが着いた。私と同じ部の社員がいっぱい迎えに来ていて、嬉しかった。
 
20:30 10トンのトラックの荷降ろしは留守部隊がやってくれたようで、全て降ろされていた。機材の数を確認してから、わが家に車の迎えを要請した
 
21:00 会社のラウンジでは、無事帰還とのことで、酒盛りが始まっていたが、チョットだけ飲んで、それを振り切り、かあちゃん代行で、車に荷物やお土産を山と積んで、久しぶりのわが家に帰った。
 
 *この13回に渡るメッセージを読んで頂いてありがとう。ほとんど船上でメッセージを書いていたんで、短期間の内にアップできると思っていましたが、その後出張が続いたりして、結局、追加・手直し等もありまして、3週間くらい掛かりました。これを真面目な文章?に編集して、出張報告書となります。
 
                    この後、全メッセージと航海図を含めた
                   ファイルをアップする予定です。
                   ご期待下さい。
 
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 2度目のグァム・サイパンへの船旅 その14 − 御愛読ありがとう!!
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「ORIENT VENUS」
 13編にわたる、「2度目のグァム・サイパンの船旅」シリーズを、長い間御愛読いただきありがとうございます。
 
 前回は、帰ってきてから書いたので、毎晩遅くまで掛かって、4週間ほどでかかって、ようやく書き上げた。今回は、船の中にMAC POWER BOOKを持ち込んで、船上で書いた。そのせいか、余裕で書き足したものだから、かえって進まなかった様な気がする。帰って直ぐ、嵐のようなMSGをアップするつもりだったが、やっぱり細切れがよいと思って...
 
 しかし終わってみれば,1ボードあたり約50行を13ボード書いた訳だから。
 
    70字*50行*13ページ=45,500字
 
 400字詰めにして 45,500字/400=114ページ
 
 「おや?何という数字だ!!」 毎日、忙しく動いているので、船上で書き込む時間を見つけるのが大変だった。帰ってきてからの書き足しは、直ぐ出来てしまうのだが...
 
 このままではまずいので、これを編集して会社に報告書を出すことにしている。また、多少、文章を追加して一つのファイルとしてUPしたいと思っています。見逃した人もじっくり見れるのではないかな。もう一つ動く航海図もUPしたいと思っている。全てまとめて、LZHファイルにして...
 
 激励のお便りがあり、毎日皆さんが楽しみに待っていると思うと、つい夜遅くまでやってしまうのだ。何か文筆業になった感じで,作家気分で毎日書きまくったのだ。
 
 思い起こせば、船の旅はまたとない経験で、印象がいちばん強い。またグァム・サイパンの日差しの強さは、日本の比ではなく、日焼け止めをしないと赤く腫れてしまう位なのだ!!。
 
 とにかく、14ページにわたる書き込みが終わった。
 
                  長い間の御愛読、ありがとうございました。
 
                              KSYMBOL
 
 第14回AKT少年の船 文集原稿
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                      AKT 技術責任者 高 橋 伸
  今回は、みなさんとは別行動した、アースステーションの話をしよう。
 
 1/8(日)、グァム島一日目。今日の私の仕事は、VTR機材を持って人工衛星会社に行って、仙台出港からグァムのショッピングまでの画像を、秋田まで送ることにある。
 
 昼食のため、ショッピングしていた班と、観光していた班がパレスホテルに合流した。そこから1時半頃、もう1台チャーターした乗用車に機材を積み替えて、通訳兼ドライバーと、アースステイションに向かった。場所は、東の方向で小高い丘の上、アップガン砦の奥の方である。最後は車1台だけ通れる、鶏が遊んでいる小道である。
 
 30分ほどで到着。直径10mもありそうな大きなオワンが二つある。日曜日とあって、ゲートがあって旋錠されていたが、中から人が出てきて開けてくれた。機材のつなぎ込みも順調に進んで、2時半にはスタンバイ終了。暇で回りを見渡したら、DELにIBMにコンパックとコンピュータだらけ。パソコン談義が、通訳無しで続いた。専門用語だから、何を喋っているか大体分かるもんだ。逆に通訳には分からない逆転現象?
 
 3時から、秋田に電話をつなぎ、連絡を取りながら、VTRを送った。昨日までの映像を5分間。そして今日の買い物風景を20分間、送った。3時半にはVTR送りが終了。跡片づけして、お礼の握手をして、そのまま真っ直ぐ船に帰った。
 
1/9(月)、グァム島2日目。学校訪問から帰ってきた子供達が、イパオビーチで海水浴開始。一気に500人近くが入ったら、大騒ぎ。アメリカ人の監視人が、唖然としてみていた。その後、厳しい監視が続いた。
 
 この取材をぎりぎりまで待って、2時10分に、昨日の午後の観光から、ポリネシアンショーと、今日の学校訪問に、始まったばかりの海水浴のシーンをいれたVTRをもって、アースステーションに向かった。
 
 時間がぎりぎりで、かなりスピードを上げて、2時40分、アースステイションに着いた。持ち込みの機材は、昨日やっているので、すぐスタンバイができた。ところが、本番の5分前になって、何やら技術者があわてだした。秋田に電話してみたら、まだ行っていないという。本番の時間になっても、映像がまだ秋田までつながらない。技術者同士の感で、ここが原因のようである。初めはセンターからの指示で、あっちこっち調べていたが、どうにも判らなくなって、昨日の技術者宅に電話したようである。ようやく、12分になって回復した。原因はビデオジャック盤のパッチングミスだった。何にも知らない技術者のようである。
 
 3時45分。秋田からの15分間の回線延長で、事なきをえて終了した。帰りは近道のゴルフ場のプライベート道路を通り、イパオパークに戻った。米国の場合、プライベート道路を通るのは、可成りの危険がある。それは監視人がいて、見つかると大変なことになるからだ。我々は、帽子をかぶってゴルフ場帰りのふりをしてきた。4時10分、イパオパークに着いたら、現地の児童との交流会が始まっていた。さっそく、居ない間作業してくれた二木君と交代をして、午前中からやっていた、キャンプファイヤーの拡声の作業を続行する。
 
                  38文字*910行=34,580字の
                 ご愛読、ありがとうございました。
 
Ksymbol