■6. 1991/2/22 山梨県河口湖 フジテレビ研修所
■7. 1991/7/20 鹿角市八幡平 湯瀬旅館
■8. 1991/7/21 小坂町 十和田湖畔「ホテル発荷」
■9. 1991/8/3 田沢湖町 水沢温泉郷「青荷山荘」
■10.1991/11/2 雄勝町秋の宮 秋の宮温泉郷「稲住温泉」
 
 
■6. 1991/2/22 山梨県河口湖 フジテレビ研修所 システム担当者研修会 仕事
 
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 新宿と冬の河口湖紀行
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▼1991/2/22(金)
 
  4:00 起床
  5:10 タクシーで自宅出発
  5:25 秋田駅着
  5:55 秋田駅発 たざわ2号
  8:00 盛岡発 やまびこ10号
 10:40 上野着。山の手線で有楽町、丸の内線で新宿3丁目、都営新宿線で曙橋
 11:50 フジテレビ着
 13:00 研修会開会・NTT講演
 16:15 フジテレビ報道スタジオ等、コンピュータシステム見学
 17:50 懇親会(ラ・ポスト)
 20:00 マイクロバスで河口湖へ
 22:00 フジテレビ河口湖第4研修所到着
 22:30 懇親会・第2部
 25:30 就寝
 
 今回の出張は、本来であれば飛行機で行けば速いんだけれども。この季節は飛ぶかどうか疑問ということで、地上の旅客輸送手段にした。だから、朝はとてつもなく早い時間となり、列車の中では寝てばかりいた。
 
 東京は去年プライベートで,2度も行ったが、フジテレビに向かうのは,10年ぶり。20年前には,東京に5年居たので、地下鉄はお手のものだった。ところが、アクシデントが2度あった。四谷3丁目と新宿3丁目を間違えて降りてしまって、1列車遅れてしまった。つぎは都営線で、反対の新宿に乗ってしまって、引き返すは、もうメロメロ!! 11:30には着くだろうと思っていたが、着いたら昼前だった。
 
 普段、フジテレビの技術スタッフとは、電話や・系列の応援等で対面しているが、東京で会うのは、10年ぶり。なつかしく面会して、食堂で昼食を取りながら、懇談となった。そのあと控え室に戻ったら、またなつかしい人がいっぱいいて、話に花が咲いた。もっとゆっくり話して居たかったが、研修会の始まる時間なので、別の部屋に向かった。
 
 今回の研修は、私の職場とは違う、情報システム部門の実務担当者研修会とうい事で、大型コンピュータを扱う人ばかり。私はその代理で、同じコンピュータだから行ってこいと言う事なんです。
 
 まずは、霞が関のNTT企業通信システム事業本部の皆さんによる講演から始まった。「今時のコンピュータ通信」と言う事で、内容は3本の柱からなる。
 
 1.は、「電送制御手順の基礎」で、無手順からベーシック手順・H・D・L・C(ハイレベル・データ・リンク・コントロール)手順まで。ひらたく言えば、全銀協プロトコルや、MNP・CRC・JCA(日本チェーンストアー協会)手順などを習った。
 
 2.は「OSI(異機種システム間)による接続」で、これを今使っているのが、FTAM(企業と銀行のファイル転送)や、TP(旅行代理店とゴルフ場・ホテル・航空会社)・証券業界・大手商事会社などである。
 
 3.は、ISDN(Integrated Services Digital Network=サービス総合ディジタル網)で、3年前から始まったINSネット64と、去年からサービスを開始したINSネット1500について説明を受けた。前に、青森でも同じタイトルの講演を受けたが、その時とはまた違った角度からの内容だった。パケット通信やG4FAX・今後の通信についても説明していた。
 
 このあとフジテレビのコンピュータシステムの概要の説明を受けたあと、社内システムの見学に向かった。その中で3階の報道センターは、戦場のように緊迫した状態で、また雑然としていた。それに比べ営業は整然としていて、近寄りがたい感じで厳粛な世界。レコード・VTR・番組情報検索システムも見学した。
 
 そして本題の大型コンピュータシステムは、地下1階が通信販売の受付端末台が40台。1階がIBMの3090−150E(32M)、大きな箱がいっぱい有るだけで、誰も居ない。2階が日立のマシンが2台。ここも箱だらけ。3階がIBMと日立のオペレーションルーム。マグネチックテープと高速プリンターだらけだった。
 
 ここの片隅にEYE−NETのホストコンピュータを見つけた。日立のシステムで単独で動いていて、ただ場所を貸しているだけという。受付モデムがやたらいっぱい有った。
 
 いつのまにか夕方になっていた。今度はフジテレビ内のレストランで、懇親会が始まった。講演のNTTの人も参加して、和気合い会い。懇親を深めた。8時にはマイクロバスに20人ほど乗って、山梨県の河口湖に向かった。
 
                     10時には着いて、さっそく懇親会
                    第2部が始まった。
                    終わったのが2時半
                    麻雀グループは3時半までとか。
                    フジテレビ流の徹底した懇親だ!!
                    明日は大丈夫かな?
 
 PS.この文書は、出張報告書を兼ねて、堂々と会社で制作された。アップロード文書とは、誰も思っていない。でもこれから編集して、まじめな報告書となる。
 
▼1991/2/23(土)
 
  7:50 起床
  8:00 朝食
  9:00 食堂で意見交換会。各社、今回の感想や、日常業務の意見交換
 11:00 マイクロバスで富士5湖方面に出発。鳴沢の氷穴見物、精進湖で富士山をバックに記念撮影。
 12:10 河口湖のドライブインで昼食
 13:00 河口湖出発
 14:30 JR新宿西口着
 15:00 秋葉原電気街着
 16:15  〃 出発 浜松町経由で羽田へ
 18:10 10分遅れで羽田テイクオフ
 19:10 秋田空港着
 20:20 自家用車で自宅着
 
 今朝は遅くまで懇親会をやっていたせいか、誰も朝食で起こされるまで、起きてこない。昨日風呂に入っていなかったので、入れるかなと言う事で、少し早めに起きて行ってみたが駄目だった。朝から晴れていて良い天気だ。木々の間から、富士山の上部のどアップがいきなり見えていた。
 
 まだ二日酔い気味だったが、みんなで食べたら、朝食をすっかり食べてしまった。その後、食堂で意見交換会となった。まず各社が今回の感想や、普段思っている疑問を発表した。
 
 食堂から富士山を見ながらの意見交換となり、早めに切り上げて富士山見物となった。研修所の前で全員の写真を取ってから、河口湖から西の精進湖の方向に、マイクロバスは走った。途中、鳴沢の氷穴に寄って、急な穴の中に降りて行った。途中高さが1m以下の所があり、足場は凍って滑るし、屈みながら入っていった。その底につららの柱があった。ただそれだけ。そして帰りは急な階段で、まるで上り降りの運動に行った見たい。
 
 精進湖では、湖の向こうに富士山が綺麗に見えて、ここでまた写真を取った。湖は所々薄く氷りを張っていたが、人が乗れば壊れそうな厚さだった。吹き降ろす風が冷たくて、震え上がってすぐバスに入った。
 
 河口湖畔でまた写真を取って、昼食。みんな麺類を食べようと言う事で、レストランに入った。味噌ラーメンを頼んだが、なかなか来ないは、美味しく無いはでさんざん。そこのみやげ店でぶどう酒でも買おうかと思ったが、荷物になるので止めて、富士山の格好した羊羹を買った。大月から中央高速で一路新宿へ2時間半の旅。途中、晴れてバスの中はあったかいし、みんな疲れたのか静かに寝ていた。
 
 新宿西口に着いて、解散となった。まだ時間があるし、初めフジテレビに行こうかと思ったが、良く考えてみたら土曜日で今日は休み。結局、数人で秋葉原に行く事になった。秋葉原に着いて、目的がみんな違うという事で、解散。単独で去年11月にも来た事のある、石丸電気のマイコンセンターに向かった。ここの3階のソフトコーナーで、ゴルフの「遥かなるオーガスタ」と、お絵描きソフト「Z’s STAFF KID98(Ver3.0)」を買った。安い、安い、73掛けだ。1時間余りで終わってしまって、まだ時間があるので、そこらへんをぶらぶらしていた。
 
 羽田に着いたら、今天候調査をしているので、まだ飛ぶか分からないと電光掲示が出ていた。まさかと思いながら、2階でおみやげの買い物をした。それから自宅に電話して、上さんに車での迎えを頼んで、天候の具合を聞いてみたら大丈夫そうなので、コーヒーを飲みながら搭乗を待っていた。
 
 秋田空港に着いたら路面が凍っていた。仁井田を通うらず、豊岩経由の最短距離で、自分で運転して50分ほどで新屋に着いた。何時も飛行機で帰るときは、この方法にしている。最短距離で、時間がかからないからだ。
 
                  次の日の2/24は凄い大雪で、
                 午前に二回も雪寄せして、午後出社したが、
                 後ろの駐車場が雪だらけで止められなくて、
                 玄関前に駐車した。
                 2/25の朝は、大交通渋滞でみんな遅刻。
 
                  ああ!! いいときに帰ってきたものだ!
                 もう1日遅かったら、大変だった。
                 今の時期の出張は危ない。
 
■7. 1991/7/20 鹿角市八幡平 湯瀬旅館 24時間テレビ 仕事
 
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 「テレビ夢列島」
 とんでもない鹿角中継紀行 その1
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▼1991/ 7/20(土)
 
 中継車は県立球場で、雨の中、第2試合、五城目−矢島戦を中継していた。9−2で五城目の勝ち、8回コールドゲームとなり、中継は3時で終了した。第3試合は明日に順延となり、思いがけなく早い撤収となり、花輪に向かう事になった。
 
 一方、私は本社から花輪に向かう報道中継車を運転して、県立球場に向かう。そこで合流して、一路花輪へ。五城目・森吉・比内を通り、鹿角市へ。十和田I・Cから花輪SAで下見。サービスエリアで、比内鳥の薫製を買う。八幡平で下りて、湯瀬ホテルへ8時到着。
 
 打ち合わせをしながら夕食。そして深夜までテレビを見ていたのは、言うまでもない。
 
内湯 露天風呂
 
 ●鹿角市 湯瀬温泉郷 「湯瀬ホテル」
 
■8. 1991/7/21 小坂町 十和田湖畔「ホテル発荷」24時間テレビ 仕事
 
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 「テレビ夢列島」
 とんでもない鹿角中継紀行 その2
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▼1991/ 7/21(日)
 
 列島リレーニュース組は、3時起きで鹿角市の林檎園に。我々花輪SA組は、6時からの列島リレーニュースの「例の林檎娘」を見てから出発。
 
 何と!!、八幡平I・Cから下り線で十和田I・Cで一端下りて、又上り線で花輪SAに向かう。訳の分からない「東京さ行くだクイズ」を中継する。9時40分頃終わって、撤収して、一旦鹿角パークで合流。帰社グループとビデオ大賞グループとに別れ、昼飯で曲田の焼き肉屋に。
 
 次は大館市曲田聖堂だが、4時からと時間があるので、近くの公園で休憩。2時には聖堂に向かって、スタンバイ開始。何をやったかと言うと、「ちのか」のビデオを放映後のこきおろしを、我がデレクター達が受けた。結果はみそくそで、結果は分かっていたが、5時半の発表待ちで、そのまま1時間半もスタンバイ。やっぱり駄目だった。
 
 十和田湖祭りの花火を取るために、十和田I・Cから小坂I・Cで下りて、樹海ラインを十和田湖に向かう。途中の峠は霧がかかっていたが、発火峠は車がいっぱい居た。和井内から休屋の湖畔は、御座を敷いて人も車もいっぱいだった。心配した渋滞もなく、7時頃休屋に着いた。
 
 早速スタンバイを始めたら、いきなり雷と横殴りの雨が降ってきた。初めは樹の影で雨ごいをしていたが、だんだん激しくなり、傘をさし・カッパを着て何もしないで、じっと雨が止むのを待っていた。花火大会は中止となり、その間観光客はみんな帰った。
 
 8時頃になり、東京から雨でもいいから「林檎娘」を出してくれと来た。南回りのクイズ組がフジに到着しなくて、ネタが無いのだ!!。豪雨の中強引にスタンバイして、本番を待ったがなかなか来ない。その間、林檎娘の佐々木アナは、傘もささずに濡れていた。そのうちに段々晴れてきて、25分頃放送に入った。
 
 佐々木アナは今年入った新人アナで、中継の経験がない。それを面白がって、朝のニュースに使ったら、フジのプロデューサーから声がかかり、十和田湖での中継となった。だから何をどうすればいいか、まったく分からない。まして、全国生放送となれば、もうパニック!!。デレクターの指示どうりにやるしかない。まずは口いっぱいに林檎をほう張り、本番を待つ。これから例の「林檎娘」が始まった。
 
 放送は初めは7分程、そして小刻みに何回もあり、全部で15分ほどで締めを独占した。この日の中継はみんな3−5分だったから、一番長い中継となった。私はカッパと傘でも雨に濡れ、中継車の窓からテレビを見ながら、本人に聞こえないように、笑いころげていた。
 
 9時に終了したが、スタッフはカッパの中がびしょ濡れ。靴もびっしょり。湖畔の旅館に入り、風呂に入って、着替える事になった。
 
 ●「ホテル発荷」
 
                     10時に十和田湖を出発して、
                    秋田に着いたら、1時半でした。
                    家に帰って、一杯やって、パソ通して
                    ああ!! 疲れたと寝たのが3時半。
 
■9. 1991/8/3 田沢湖町 水沢温泉郷「青荷山荘」家族 私用
 
 
 ●田沢湖町 水沢温泉郷 「青荷山荘」
  ・TEL:0187ー46ー2256
 
 *過去の記録が行方不明。ここは夢列島の番宣取り以来2度目。内風呂も良いが、向かいの水沢温泉がよくて、そちらに向かった。女将さんが元社員の親で、会社の話題で話が止まらない。それ以来行きにくくなってしまった。
 
■10.1991/11/2 雄勝町秋の宮 秋の宮温泉郷「稲住温泉」 湯沢・種苗交換会  クボタ民謡 仕事
 
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 湯沢の種苗交換会に行ってきた。
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▼ 1991/11/2(土)
 
 15:30に湯沢文化会館に着いて、まだ小屋が開かないので裏の主会場で、SYSOPさん探し。結局、主会場の土真ん中で、帰りぎわのSYSOPさんに遭遇。駐車場まで歩きながら,3分間会談。相変わらず、忙しい2者で、即分かれの挨拶。それから7:30分まで明日のスタンバイをして、稲住温泉に向かった。
 
 それが、湯沢から秋ノ宮まで結構有るんだ世ねーーー タイヤを鳴らしながら90キロで飛ばし、8:15には着いた。45分間の夜中の暴走?
 
 約40人のスタッフが、風呂にも入らずに、遅い宴会となった。ビール・冷酒・ウイスキーを箱単位で飲んでいる、とんでもない集団。ここは9:30で終わりで、続きは各部屋で。10時からは明日の打ち合わせ。10:30には明けて待望の風呂に...
 
内湯 露天風呂
 
 ●雄勝町 秋の宮温泉郷 「稲住温泉」
  ・TEL:0183-56-2131
 
 初めは熱い室内風呂で熱っためて、次は夜風が寒い露天風呂に。酔っぱらっての風呂で、ぬるい露天風呂は、丁度良い?? 何と!!ナイターの紅葉露天風呂。気が付いたら、1時まで飲んでいた。
 
▼1991/11/3(日)
 
 朝は6:15に起きて、即、露天風呂。昨日の夜の紅葉も良かったが、明るい朝の紅葉も良い。1本の木で緑・黄色・赤と素晴らしい最後の紅葉だ。7:15から朝食。少ない時間に、売店でにじますの甘露煮を買った。7:40には湯沢に出発。
 
 8:30に湯沢文化に着いて、昨日の早速スタンバイを続行。10時から音合わせが始まった。客席の最後部で音卓に向かってヘッドホーンをかけていたら、10時半頃、肩を叩く人がいる。後ろを見たらINAOだ!!
 
                      Ksymbol